2005年03月24日

難しい入学と楽な卒業

(3月24日記)
 春である。入学と卒業のシーズンである。電車の中で晴の和服を着た若い女学生たちが花束を持って華やいでいたり、掲示板の前で胴上げをする受験生たちの喜ぶ姿をテレビ画面で見て、その昔を想い出す。

受験勉強の暗い青春。英単語の丸暗記。覚えると、いや覚えたと思うと、英和辞書を食べるのが進学校でのモードだった。終戦直後の焼け野原、ハラペコの時代。猫やネズミの肉が入っていた新宿駅西口のごった煮屋に行くのが楽しみだった、何でも食べたあの時代でも、辞書は不味かった!周りが暗記するから仕方なく、ただ受験の為に、英語単語を覚えねばならない我が身を呪いつつ食べたから余計ノドを通らなかった。
 そうまでして入った大学はしかし、ろくな勉強をせず卒業できた。大学の暖簾を背負って暖簾の良い会社に就職し、一生を大樹の陰でのうのうと暮らそう。ああ、何たる安易な学生生活。尤も、だからこそ僕は好きなグリークラブでの合唱生活に邁進し、歌で身を立てることになれたのだがーー。
 専門教育を受けよう。だが日本の音大を受けてもピアノで絶対に落ちる。音楽に目覚めたのは大学のグリークラブに入ってから。晩学の僕はだからローマに留学した。運良くイタリア政府の奨学金が下りた。今のように誰でも留学できる時代ではなかった。
 サンタチェチリア音楽院の入学試験は難なく通過した。オーソーレミーオ1曲を歌って入ったナポリ出身の美声テナーは、ソルフェッジオがからしきダメ。でも、ソルフェッジオはやれば誰でも出来るが、美声はどんなに勉強に励んでも、もともと持ってない人間には一生涯持てないものなのだ。彼はこてんこてんにソルフェッジオを、僕は散々ピアノと、イタリア語を絞られた。音楽史の試験を落として歌の卒業試験を受けられず、一旦帰国して決まっていた舞台をこなしてから、もう一度ローマに行って再受験をしてやっと最低点で音楽史をクリアーしてから、何とか卒業した。音楽院だけじゃない。向こうの大学は入るのは日本よりずーっと易しいが、出るのは遙かに難しい!

 ところで、NPOみんなのオペラの本年9月公演「魔笛」公募オーデイションの締め切りは今月末、あと一週間後。全部の役と、脚色で加わった原作にはない、子供の芝居や、フルーテイスト、動物縫いぐるみ入り役者、など、どれも経験や楽歴を一切問わず、入場券販売ノルマも全くない。ギャラも15万円から1・5万円まで払う。課題も難しくない。向こうの音楽院と同じく、4人の審査員が素質ありと判定すれば合格!このホームページトップに応募要項がある。自信のある方は是非お受け下さい!
posted by opera-okamura at 09:40| Comment(0) | 日記

2005年03月18日

童女・章子さん逝く

(3月18日記)
そぼくれる雨が降る寒空のカトリック教会の祭壇。この17日。バラの花々に包まれたマリア・ローザ江間章子の遺影は、生前の、いつもの童女のように微笑んでいる。

自作の“夏が来れば想い出す、遙かな尾瀬、遠い空――”を聴きながら両膝の上に組んだ両手を握り合わせて舞台上で微笑んでいた、何年か前のあの80うん才の時の、童女のように清純な顔だ。
尾瀬の近くの片品村で名誉村民として江間章子先生が表彰されたのは、光栄にも、村で開かれた僕の独唱会の中でだった。「先生と呼んだら、もうご一緒しませんからね!」仕方ないから、おふくろの年齢のような大詩人を僕は「江間さん」と舞台の上で呼んだ。生国の岩手弁を使って彼女は茶目っ気たっぷりに僕を煙に巻いた。終わって、さすがに食い意地の張った僕には太刀打ちできなかったが、わんこそばを何杯もおかわりした。「何かをお書きになったら、もう一度そこに行って確かめられることね」詩を書く心得を尋ねたらこう答えられた。でも、僕のことを書いた詩「可愛い女の子」は、僕が歌の道に進んだのは、教会の聖歌隊に可愛い女の子に誘われて入ったのがきっかけで、その子が僕の女房であることになっている。実はそうではない。彼女はそれを僕に確かめずに作曲家の大中恩・先生に渡して曲になってしまい、僕は歌った。それをネタに一本参らせようと思っていたら手遅れになってしまった。

「4世紀の聖人・アウグスチヌスは、言葉のない音楽は無意味である、と言いました。“七色の谷を越えて、流れていく風のリボンーー”春を歌った江間さんのこの詩によってこの歌はどんなに人の心に憧れを与えたことかーー」。司祭の話が続いている。
ベートーベンの交響曲も、ラフマニノフの無言歌も知らないアウグスチヌスの時代だけでない。今でも如何に多くの音家が言葉の力を得て人々に安らぎをあたえていることか。中田喜直の“夏の想い出”も團伊久磨の“花の街”も江間章子の詩で有名になった。霞を食って生きてる清い童女は売名がお嫌いだ。だから往々にしてそのことが忘れられる。
彼女はご息女にも「章子さん」と自分を呼ばせた。数年前に洗礼を受け、マリア・ローザ(バラの意味)と、16世紀の聖人の名を冠された章子さんは、僅か半日、病を得ただけで、金、金、金の世の中と無縁に生き、永遠の平和を得た喜びに満ちて、92才の誕生日と春の訪れを目前に、安らかに天国へ旅立たれた。――「平和の下にのみ喜びはある。と江間さんは言って居られました」と司祭は結んだ。
posted by opera-okamura at 22:18| Comment(0) | 日記

2005年03月13日

ITとテレビがツートップ

(3月13日記)
連日ホリエモンさんがテレビに出てくる。「10年後はITとテレビがツートップ」とのたまい、親父のような年齢のオジさんが代表の大テレビグループと穏やかに亘りあう姿は、非道な若者のニュースが続く中で、インテリ若者の代表のようでマコトニ頼もしい!
テレビの威力はもう数十年来続いてるが、「IT」も「ツートップ」も、ついこの間から使われ出した言葉。我々ジジイはあれよあれよと世の物凄い移り変わりを見守るだけだ!

今月7日から「NPOみんなのオペラ」ホーム頁へのアクセスが激増した。先月の一日平均の約4倍。その後も連日勢いは続いている。事務局に聴くと、問い合わせは増えたが、オーデイション応募はまだ少ないとのこと。例年のように、締め切りの今月末に洪水のようになだれ込むのだろうか。来月の2日間のオーデイションではトイレに行く時も惜しんで審査をするという、嬉しい悲鳴をあげられるだろうか?――我々のオーデイションは楽歴、国籍、居住地などは一切問わないし、入場券販売ノルマも全くないしーー。それに今年はチラシのデザインも公募しているし、「魔笛」はソリストも合唱も、それに脚色で出来た役の子供やフルーテイスト、と採用が多いからだろうけれど、3年前の同じ「魔笛」ではこう多くのアクセスはなかった。
 貧乏NPOだから、有料は音楽の友と音楽家ユニオンの機関誌の小さな広告だけ、あとは昨年の「蝶々さん」公演と僕の出演するコンサートで告知チラシを配り、ヤマハ池袋店のご厚意で店内で告知をしてい戴いたくらいだから、やはり無料の、NPOとこの僕のホーム頁が一番大きなオーデイション宣伝効果になったのだろう。有難い!

いつも電源が切れてると不評判の不通携帯電話は、数年前に東名で追突されぐにゃぐにゃになった車を保険で買い換えた折りに車電話の替わりに買ったのだが、写メールがついていると威張っていたのが、もう古くさいシロモノ。10年前に大枚45万円で買ったパソコンは今や三分の一以下で買える古物市場行き――。とてもついてはいけない!
 テレビとITが10年後にツートップになったら、どんなインターネット活用法でオーデイションの告知をしたら上手い歌手たちが集まるのかを、ホリエモン氏に是非ご指導願いたいモノだ!!
posted by opera-okamura at 20:19| Comment(0) | 日記