2005年05月31日

個性

(5月31日 記)
 ドイツに住んでいた頃。テレビで老ストラビンスキーが言っていた。「火の鳥を何人もの指揮者が演奏してくれたのを聴いたが、どれもが全く異なり、どれもが私の書いた曲より良かった」。「火の鳥」は現代を代表する作曲家、ストラビンスキーの代表作の一つで、壮麗なバレー組曲である。

 この時期、歌のコンクールの審査をする。老若男女、色々な人が歌う歌は皆、何とか欠点を削って審査員の心証を良くし、上位を狙をうというものかりである。たまに外人が出てくる。上手い下手は別として彼等は自分の持ち味をアピールして審査員に訴えようとする。仲間社会の日本人は欠点の少ない演奏を、他人社会の欧米人は自分を売り出す演奏をする。ローマとウイーンの音楽院で学んだ者として、向こうの歌劇場で永らく向こうの歌手達と歌った者としてその感を強くする。特に大劇場では、如何に自分は他人と違うかを如実に歌い演じる歌手達ばかりだった。

 クラシックは、人間が聴いて面白いと思った同じ曲を延々と後世まで演奏し続ける芸術である。それが皆、判で押したように楽譜に忠実な演奏ばかりでは面白くも何ともなく、確実にクラッシックを聴きに来る客は減る。ということを歴史の長い欧米社会は知ってるから、正しいが面白くない演奏は自然に淘汰される。歴史の浅い日本はお義理の拍手で看過する。演奏の目的の一つは如何に他人と違うかを示すことである。

 中流以下の日本人指揮者が「火の鳥」を指揮したら、どれもこれもストラビンスキーが楽譜に書き込んだことをただ忠実に演奏しようとしたことだろう。それではストラビンスキーは絶対に首を縦に振らなかったに違いない。

 我流や自己流は我が国では悪だが、向こうでは個性を示すための大きな手段である。
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2005年05月24日

若い作曲家よ、頑張れ!

(5月24日 記)
 「ああ、今度はみな言葉が解るなー!」−−。上野公園内の旧奏楽堂。日本歌曲コンクールの作曲部門が終わり、休憩の後、今度は歌唱コンクールに移り、審査員席の僕はほっとした。やっと本来の美しい日本の歌だけが歌われている。 5月は連休あけの今頃。例年このコンクールはこの日本最古の音楽ホールでおこなわれ、今年で16回を数える。日本の歌は「荒城の月」と「すき焼きソング」だけではない、こんなに良い歌もあるのを世界に示そうと、始めは歌だけだったが、第6回から、新しい日本の歌を創ろうと作曲部門も加わった。今年は188名が歌唱部門、作曲には67曲の応募があった。年齢、国籍、居住地などに制限はなく、台東区の主催だから審査料は1万円と他のコンクールに比べて安く、浴衣に下駄履きの白人、折りたたみの白い杖を頼りの盲目のテナー、両脇に松葉杖で登場したバリトン、65歳以上の高齢者も何人も応募された。もののけ姫で一躍脚光を浴びたカウンターテナーの米良美一もこのコンクールの出身。昨年第一位の布施雅也は今年のNPOみんなのオペラ「魔笛」のタミーノを歌い、他にもメジャーな舞台で主役を歌った歌手を歌唱部門からは排出している。
 残念なことは、もう10年10回を数えるのに、作曲部門からはまだ1曲も、歌唱部門で歌われた曲が出てないことである。新曲だから、楽譜は市販されていないが、どうしても歌いたい曲なら、奏楽堂の事務局に照会すればすぐ手に入るのだ。ーー言葉は解らない、演奏が難しすぎる、効果を多用し作曲技術を誇示、入賞だけを狙う、何よりも面白くない。だから歌われない。そうだとしたら作曲コンクールの存在意義は無い!何とかしなければせっかく隆盛期を迎えたコンクールは歌唱部門も萎んでしまう!!

 「今の若い人たちは、山田耕筰、中田喜直、団伊玖磨、大中恩、などが創ったような作品を創る教育を受けていないのだよ!」そう作曲部門の間宮芳生・審査員長が言った。ならば、どうやって何とかするのか???若い作曲家よ、歌われてこそ曲は存在価値を持つのだ。何とかしてくれ!!
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2005年05月18日

全国都市再生モデル調査

(5月18日記)
 「地域を活性化する活動をしている団体を内閣府が探してますよ」−−こんな電話が江東区の方からあった。オペラ好きで常づねお世話になっている。「うちの区が推薦することになれば、数百万のお金がいただけるかもしれません!!」ーー大赤字に泣く貧乏NPOとしては願ってもない話である!!!

 オペラは物凄い金食い虫である。僕が専属で歌っていたケルン歌劇場や、ゲストで歌ったミュンヘン歌劇場は年間を通し夏休み6週間を除き、毎日とっかえひっかえオペラを公演していて、入場率は90−95%だったが、それでも経費の7割は税金からの投入でまかなっていた。満員でも入場料の占める割合はたった3割の計算である。勿論、世界的な歌劇場だから一回ウン百万円のギャラを取る歌手たちも常連のゲストで出ている。80−90名のオーケストラ、合唱、それにバレー団、大道具、小道具、衣装の製作と保管部、照明、舞台係り、多数の事務局員、芸術総監督、総裁ーー、と数百人の人が働く小都市の市役所みたいだった。
 それに比べると鼻くそみたいなものだが、我々NPOみんなのオペラも年一回、メジャーオペラ団の半分以下の安い入場料で、解りやすくオペラを創り、下町江東区の文化拠点・テイアラこうとう(1102席)で、オペラ大衆化運動を10年間続けてきた。始めは省エネオペラと称し、500円の入場料でピアノ伴奏で江東区文化センターという500席あまりの小屋で上演もした。NPOになってからも、今年9月の「魔笛」公演もそうだが、身障者や70歳以上の方には公開総練習を先着100名様に1000円でご入場いただいている。演出する僕が自分で言うのはおこがましいが、序曲の上でパントマイムの芝居をさせて、対立するザラストロ率いる男性一派と夜の女王の女性一派が垂涎の的とする魔法の笛と鈴が、如何にして空飛ぶ天使達から女王一派の手中におちたのかをお見せし、その後も全編に僕のナレーションを入れて、予備知識無しでも解るようにした。

 そういう努力を区が認めてくれたのだろう、政策経営企画課のご指導を得、夜なべして事務局と作成した書類には区長の推薦のハンコが押され、締め切りのこの13日ぎりぎりに内閣府に提出した。ーーこういう制度があることを教えていただいたことに感謝し、あとは9月の結果発表を待つばかりである!!当選すれば、全国初のオペラでのモデルとなるだろう、とは区の担当官のお話である。
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2005年05月14日

暗譜

(5月14日記)
 オペラの主役に、舞台上で2時間以上も続けて歌う役はない。僕たちバス歌手の主役中の主役、ムソルグスキーの「ボリス・ゴドノフ」だって、数えてみたら1時間程度だった。出ずっぱりの主役、プッチーニの「蝶々さん」、ヴェルデイの「椿姫」だって、歌っている時間はそのくらいのもの。オペラでは相手役や合唱、オーケストラの演奏が間に入る。だからピアノの前奏・間奏は入っても、シューベルトの全24曲の歌曲集「冬の旅」の休憩無しで一人だけで歌う1時間15分は、どのオペラ主役よりも長いことになる。だが、それよりも遥かに長いのが今、7月末の沼津再演のために今、必死になって暗譜している新モノオペラ「男と女の人情歌物語、人足・松 遊女・お秋」で、クラリネットとピアノの前奏・間奏をごく短く挟み、僕一人でたっぷり両編で2時間を歌い、そして喋り通さねばならない!

 向こうのオペラ劇場の専属になると劇場つきのコレペテイトウアーが無料でピアノを弾ききっかけや相手役の歌を歌って、暗譜の手伝いをしてくれる。コ(一緒に)レペテイ(繰り返す)トウアー(人)、つまり何度も何度も、音楽コーチをして歌手の暗譜を助けてくれる役で、将来のカラヤンを目指す指揮者の卵たちが手取り足取りで舞台に上がる為に歌手の準備をしてくれるのである。それをやって彼等もオペラを覚えていく。初台の新国立劇場が出来てやっと本物のオペラ劇場が登場してきたわが国には、こういうオペラのシステムはまだ不完全だし、言葉の問題もあるからコレペテイトウアーの本当に上手な人はまだ殆どいない。それは例年のオーデイションで痛感することである。人情歌物語はクラリネットの磯部周平(N響首席)とピアノの安田裕子(NPOみんなのオペラ)のお二人と何度も何度も練習をし、すでに同じ沼津と東京文化会館(小)で舞台に上げたのだが、どうしても暗譜できなかった!既に来年7回決まっている再演に備え、どうしてもあと2ヶ月あまりで覚えきり、今度の沼津では、楽譜にとらわれずに歌い演じきらねばならない。
 
 「――そうよ、おらあ、ここで飲んだくれるために生きてるようなものよ!」松が安屋台で飲んでいる。――。手のパントマイムでかみさんが僕のイヤホンを示す。練習を録音したMDを聴きながら一緒に公園を歩いていたが、後ろから来る自転車のベルが聞こえなかった。「どうした?」とイヤホンを取りはずして聞いたら「小さな声で!!」と怒られた。寸暇を惜しんで暗譜中なのだ。「――この間の返事を聴かせてくれないか?―何の話でしたっけ?―忘れた振りをするな、旦那がついて船宿が出せるようになったから夫婦になってくれと頼んだ筈だ!―ああ、その話なの、それならちゃんと断ってあるわーー」又イヤホンをつけると、耳の中でお秋が迫る男をかわしている。――さて、果たして暗譜は間に合うか?!
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2005年05月04日

鯉幟(コイノボリ)

(5月4日記)
 明日5日はこどもの日。昔は男の子の為の”端午の節句”だった。「五節句の一つ。邪気を払うため、ショウブやヨモギを軒にはさみ、粽(チマキ)を供え、柏餅(カシワモチ)を食べる」と辞典に出ている。僕が子供の頃は、このふりがな無しでも大人達は読んでいた。「上己。(ジョウシ)三月三日を女子の節句とするのに対し、これを男子の節句として、男の子のいる家ではその立身出世を祝って、のぼりやかぶと人形などを飾る」と辞典は続ける。

 我が家でもおふくろが柏餅をつくり、しょうぶ湯を炊き、まず長男の僕がお風呂に入り、まず僕が柏餅を食べ、鯉幟が我が家の軒に垂れ下がった。成人してからの立身出世を前もって祝ってくれたのだ。そういえば ”−−身を立て名をあげ、やよ励めよ、今こそ分かれ目、いざさらば”と小学校の卒業式で歌った覚えがある。 人に先んじて偉くなり立身し、他人より名をあげ有名になり出世するのが昔の目標。実は今だってそれは日本人の共通価値観として全く変わってはいないのに、総ての国民は平等である、という戦後の民主主義の合い言葉のもと、立身出世という言葉だけは何となく御法度のようになってしまった。
 鯉幟は男の子のシンボルである。いや、シンボルだった。人目に立たないようにひそかに暮らしていた平家の落ち武者部落にも立った。その鯉幟で、部落の存在が発覚してしまったという。女の子には家を守ることが、男の子には立身出世が、日本人の価値観だったのだ。

 昨年度「NPOみんなのオペラ」公演の改訂版「蝶々さん」で演出をした僕は、不実な夫ピンカートンの帰りをひたすら待つ蝶々さんの家に、鯉幟を真ん中に吊した。新婚早々にして長崎を出港していった夫は彼女との間に男の子を残したことを知らない。外人に身を売りキリスト教に改宗までした蝶々さんと隔絶した日本人社会に対して、蝶々さんは鯉幟で、異人の夫とは正式に結婚をしたことと、坊やと侍女すずきと3人だけで生きる誇りを示したのである。
 日米文化摩擦と原作の時代設定の明治後期の再現が演出のテーマだった。国外公演では、いや、国内公演でだって、どうして鯉幟が立っているの、と若者はいぶかしがるかも知れないが−−。

 オペラ歌手の僕は女性の力をよく知っている。オペラに女声は不可欠だし、女性の方が男性より優れている例を沢山知っている。そして立身出世は芸術を追究するオペラ歌手にとり望まない方がいい言葉だ。それでも、鯉幟が翻る五月晴れの日本の風景は、その昔が偲ばれて大変懐かしい!
posted by opera-okamura at 22:14| Comment(0) | 日記