2005年08月31日

真っ茶色のおしっこ

(8月31日 記)
 練習会場での最初の日。「魔笛」の演出を12時間ぶっ続けに続けてホテルに帰ったら真っ茶色のおしっこが出た。8年前だったか、「コジ ファン トウッテ」を他の仕事と掛け持ちで初めて演出し、小屋に入りっぱなしのときも真っ茶色のおしっこが出て急に高熱を発して入院した。あのときは膝も曲がらなくなり車いすで小屋に通った。

オペラの演出は体は動かさない。演技や立つ場所を訂正したりするのは、指示すれば演出助手が歌手達の所へ走っていってやってくれる。オーケストラ役のピアノ伴奏で音楽は指揮者や副指揮者が指揮をする。演出家は座っているだけである。だが脳みそを使いに使う。考えてきた演出も歌手の特性や能力に会わせて変えねばならない。彼等の特性は動かせてみなければ解らない。計算が違っていたことも大いにある。魔笛には仕掛けがいろいろある。鳥刺しパパゲーノが首つり自殺をしようとして縄を木に吊し首にかけると、天使達が出てきて魔法の鈴を鳴らすように言い、パパゲーノが鈴を鳴らすや、あら不思議!つるつると縄が解ける、手品師のような仕掛けは振り付け、舞台監督、演出助手が集まって考えたあげく、やっと上手くいった。すべてが紛糾、錯綜し、思うようにいかなかったときの脳みそが真っ茶色のおしっこを作ったのに違いない!

一ヶ月間、練習を積み、今日が公開の通し稽古前の最後の稽古になったが、もう平常の真っ白なおしっこに戻った。本当の疲労はトラウマから来る。筋肉疲労からではない。
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2005年08月24日

本当に鳥が飛び、火が燃え、濁流が流れる  

(8月24日 記)
 オペラ「魔笛」では、パパゲーノがパン笛を吹くと本当に鳥が飛び、火の試練、水の試練では本当に(!?)燃えさかる火や渦巻く流れを見せなければならない。そんなことは出来っこない?いや、それが出来るのだ!!

このブロッグで既に書いたが、モーツアルトの生きたウイーンの人々は目先が常に変化していくショーを好んでいた。

空を飛ぶという人類の夢が、熱気球の登場で果たされるかに思えたその頃。文豪ゲーテも夢中になったこの気球に、一人の若者が乗り込んできた。乗れるのはごく一部の特権階級だけである。忽ちつまみ出されそうになったとき、その男はこう言ったとか。「地上ではあなた方は確かにお偉いが、ここでは俺と同じ一人の人間だ。だから俺も乗る権利がある!」モーツアルト最後のオペラ「魔笛」が書かれたのはフランス大革命の2年後である。

「魔笛」もシカネーダという才能有る旅の歌芝居興行主、兼、大変達者な役者、まあまあの歌手、台本作者、脚色家、そして相当の色事師、ほら吹き、と、モーツアルトという大作曲家、の二人の平民により平民のために書かれた。時の観客層は貴族達特権階級から産業革命の結果興隆してきた金を持つ平民階層にシフトしつつあったのである。「魔笛」がその初演から興行成績が大いにあがったのはそのヴァライエテイ性のためだったに違いない。

 「魔笛」はエンターテインメント・オペラだ。それを間違えて裏に込められているモーツアルトも台本を書いたシカネーダも属していた秘密結社・フリーメーソンに触ると、これまでまま上演されてきたように面白くなくなる。
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2005年08月18日

現在は未来の過去である

(8月18日 記)
 日本の未来をどうするべきなのか、というテーマの生討論番組がNHKテレビで延々と終戦記念日を中心とした日々のゴールデンアワーなどの時間帯に放映された。大変面白い為になる、コマーシャル時間を気にしないNHKでなければ出来ない番組だった。

 老若男女からなる、学生、高校の歴史教師、アジアの国々と仕事をしている日本人ビジネスマン、日本語に堪能なアジアの人達、そして、町村・外務大臣、評論家達、と、日頃のテレビ、ゴールデンアワーに出てくる、視聴率向上の為のタレントたちのくだらない馬鹿騒ぎに比べて、意見の真っ向からの対立や食い違いはあっても、こういう人達がアジアの将来を担ってくれたら、と思う発言が相次いだ。

 しかし、残念だったのは、西欧列強のアジア植民地政策に対する過去の日本の対アジア進出の合法・非合法性、日本兵の南京虐殺の真実や、靖国のA級戦犯合祀などの、過去の我が国にたいしての意見ばかりが続き、将来へのアジアのあるべき姿への展望が甚だ少なかったことである。

 番組が終わろうとしているとき、あるアジアの国の若者がそれを指摘してこう言った。「現在は未来の過去なんですよ!」――然り。これからの歴史はこれから始まる。過去に拘泥してもアジアの発展はない。
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2005年08月12日

「レデイス4」生出演

(8月12日 記)
 「今、やっと電話が途切れました!」――テレビ東京「レデイス4」に生出演をして「さとうきび畑」全11コーラスを歌った日。放送が終了し帰宅したらマネージャー・ミリオンコンサートからの電話。急な出演依頼があって僕の都合を聞こうにも電話を取る手があかなかったらしい。

テレビの威力はすさまじい!告知をするのにこれほど強力なメデイアは他にない。テレビに出ていることは有名人の証である。もう四半世紀前になるが、総合司会番組を降りた後、よく「この頃テレビに出てないね」と言われたものだった。売れなくなった芸能人はテレビに出るために離婚したり、スキャンダルの噂をつくるのだとかーー? 

「レデイス4」は午後の生放映だが、一昨年の「徹子の部屋」に出演したときも反応は物凄かった。「蝶々さん」公演の最初の公開総練習日の午後が放映。「徹子の部屋」は前もって収録して放映する番組である。放映が始まったとたんにミリオンコンサートだけでなく、番組では電話番号は告知してないのに公演会場のテイアラこうとうの電話も鳴りっぱなし。会場にはテレビで観たからと言って券を求めに来られる方が引きもきらなかった。お陰さまで4回の公演は満員。

今回告知をした9月8日−11日の「魔笛」も身障者・70歳以上の高齢者用の1000円券(公開ゲネプロのみ)や安い券はとうに売り切れたが、果たして満員御礼となってくれるのか?
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2005年08月06日

ハラハラドキドキ・愛の冒険物語「魔笛」

(8月6日 記)
 モーツアルトの「魔笛」があらゆるオペラの中で最大の興行成績を上げている理由は、その台本が支離滅裂だからである! と書くのはいささか気が引けるのだが、あながち嘘でもない。

 台本にドラマとして筋が通り、人間の生き物としての条理を貫いて人の心を打つのはそうはない。あったとしてもそれが娯楽として興行に耐えていけるものは大変少ない。歌で、音楽で筋を運ぶオペラに、どだい演劇と同じ台本を望むのは無理なのだ。社会情勢が許さない仲をしのぶ悲しい恋、大金持ちの爺さんが女中にころりと奥さんに収まらせてしまわれる茶番。――ヒットオペラに難しい台本はない。

 だが、旅の歌芝居興行師で役者・歌手のシカネーダが全部書いた、いやモーツアルトも手を加えた、いや他にもいる、あげくには自分が書いたと言う者まで後に出た「魔笛」の台本は、誰が見ても度を超して荒唐無稽だ。

 蛇に追われて逃げてきて、助けてくれと悲鳴を上げる腰抜け王子タミーノに、強敵で悪人のザラストロ一派に捕らわれている主人・夜の女王の娘パミーナを救出してくれと頼む、女王の侍女3人は正気か? 彼女たちから渡されるパミーナの絵姿を一目見ただけで死を賭して彼女を救い出しに行くタミーノは、途中でころりと態度を変え、ほんの一寸ザラストロの手下に説得されただけで、ザラストロの課す試練を受けてパミーナを得ようとし、夜の女王はいつのまにか大悪人になるという逆転!

 当時のウイーンでは、目先の変わるヴァライエテイショーが人々の興味の対象。興行の達人シカネーダもモーツアルトもそれにどっぷり浸っていた。シカネーダは蛇を冒頭に登場させ、業火をくぐり逆巻く怒濤を超える試練の場をタミーノとパミーナの為に課し、モーツアルトはヒステリー女のわめきのような夜の女王のアリア、民謡風の鳥刺しパパゲーノの鼻歌、タミーノの恋とパミーナの悲恋の優しい美しいアリア、それまでまだ無かった男声合唱/僧侶の祈り、荘厳なザラストロのアリア、と千変万化の曲をつけた。

 実は台本はモーツアルトもシカネーダも入っていた秘密結社フリーメーソンの秘儀に会わせたのであって、筋はちゃんと通っているという学者がいる。だが結社員以外の者には解らないようにモーツアルトは作曲したと彼は妻に当てた手紙の中で言っている。

 難しいフリーメーソンを外して、全編に僕のナレーションを入れ、解りやすく演出してハラハラドキドキの冒険お伽噺として、来月のエンターテインメント「魔笛」を創作中だ。
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