2005年12月29日

難事な「魔笛」の演出

(12月29日 記)
国際線航空機の中でも書いたこのブロッグの今年最後の篇。無頼漢に荒らされた「NPOみんなのオペラ」ホームページ、掲示板の復旧状態を見たら、高野正宗さんのご投稿が再び目に入り大いに力を得た。オペラ演出も手がけるようになって以来、演出に対する最高のお褒めの言葉、それも、相当のオペラ/モーツアルト通からの、そして演出の中では最も難しいとされる「魔笛」演出へーーだ。

「無理のない前日譚を設定し、思い切った解釈も含め、従来にない演出によって、それ自体で完結し疑問なく楽しめるおとぎ話・寓話として完成させたのは見事」――と。

 僕は是非とも過去の日本の全「魔笛」出演者の皆さんに高野さんのご投稿を読んで頂きたい。長文でここにはとても全部を紹介出来ないので。――何故なら永年オペラを歌ってきて、欧米の劇場でも、僕自身を含めて、自分の役だけ歌いオペラの全容を把握出来てない歌手が多いことを良く知っているからだ。そうすれば次回の「魔笛」には今回より更に良いアーテイスト達がオーデイションに蝟集するだろうと期待する!

 ――皆様のご愛読に深謝。来年はまだ誰もやったことのない、山本周五郎の原作から創った浪曲風・新モノオペラ、大中恩・作曲の「人情歌物語〜松とお秋」です。日雇い人足と場末の女郎、底辺に生きる男女の悲哀を描いた和魂洋才の作品。ピアノとクラリネットを曲師として小生が全役を歌い喋ります。オペラ大衆化の為に創った上質廉価(4000円/1000円)な舞台です。
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2005年12月24日

人は見かけによらない

(12月24日 記)
地下鉄は僕の人間観察の場。手持ち無沙汰だから前の座席に座る人々を観察せざるを得ない。

 昨夜。乗り込んで座ったら、前の列は満席で、僕の正面が中で一番ひと目を惹く中年のおばちゃん。長靴にだぶだぶ・よれよれの黒ズボン、耐用期限がとうに来た汚らしい買い物バッグ、もじゃもじゃの髪の毛に鼻眼鏡。化粧しない扁平な大きな顔の中央に低い平べったい大きな鼻。やおらバッグから飴を取り出し、乱暴に剥いて口に放り込み、ハナ紙を丸めて鼻の穴に突っ込み、ぐいぐいねじり引き出して先の粘着物を仔細に点検。それからノドちんこまで見せて大きなあくびをしてから、婦人週刊誌を取り出して読み始めた。

電車は駅に着き、杖をついた老女がよちよちと乗ってきた。と、素早く呼んでいた本をかばんに放り込みい、鼻眼鏡をたくし上げたおばちゃんが、脱兎の如くいち早く立ち上がった。「どうぞお座りになって!」。女学生のような幼いういういしい声でしとやかに席を譲った。

人は見かけによらない!!
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2005年12月17日

からすみとカストラート

(12月17日 記)
 「オペラとセックス」と題した講演会のお客さんからお手製の巨大からすみをいただいた。からすみとは、ぼらの卵/卵巣から作る塩乾品である。その方は講演会後の食事会でぐいぐいと白ワインを飲みながら、俺のからすみは一流料亭のものより全然上等だと自慢した。

 台湾の友人からもからすみが送られてくる。彼は、揚子江から回遊してくるぼらの卵巣から作ったのがからすみで、油で炒めて食べてくれという。台湾のは固い。長崎の空港で売っているのも固い。そしてひどく高価だ。

 その講演会のお客のは特にそうだが、和製のからすみは卵の粒が小さくて柔らかい。だから僕は、日本近海を泳ぐぼらの卵巣は成熟中で柔らかく、それが回遊し成熟したのが台湾のものだから固いのだ、と思っていた。だが彼の飲みながらの説明によると、和製のと台湾製のは、ぼらの種類が違うらしい。ぼらは世界中にいる魚だと亡くなった魚の博士の叔父は教えてくれた。古代エジプトの出土品にからすみがあったそうな。あまりに美味しいので、古代エジプトの人は副葬品としてからすみを棺に入れたのではないだろうか? イタリアではからすみはボッタルガと言い、パスタにかけて食べる。

 講演で使用したVTR「カストラート」のセックスシーンに、世界には色々なセックスがあるものだと、その大男は驚いていたが、僕は、ぼらにもいろいろあるのだと思った。形が中国の墨、唐墨に似ているのでからすみと呼ばれるのだいうことも初めて知った。念のために、カストラートとは声変わり前の男の子を去勢して作った、人工女声歌手のことである。カストラートは子供は創れないが、セックスは出来る。それもあってバロックオペラは彼/彼女たちに占領された。
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2005年12月08日

正しい日本の姿

(12月8日 記)
異教・キリスト教に無断で改宗した我が姪(蝶々さんと呼ばれる15歳の長崎芸者)を面詰する叔父の僧侶が「蝶々さーん!」と彼女にさん付けで怒鳴ったり、その蝶々さんの出身地が長崎のおまーら(大村の間違い)になっていたり、おくなま、という我々日本人の知らない賢人が日本にはいて微笑みの効用を説くことになっていたり、芸者は雨の日も風の日も子供を抱いて路上で歌い踊り、道行く人に哀れみを乞う商売になっていたりーー等など、とオペラ「マダマ バタフライ」の原作には日本誤認がある。わが国を世界に知らしめた大功労の・芸術作品は正しくわが国を世界に知らしめねばならない!!このオペラをプッチーニが書いた101年前には日本はまだ世界に殆ど知られていなかったのだ。

その訂正は日本人の音楽家なら誰でも、やる気になりさえすればできるものである。僕は一昨年にそれを改定して「NPOみんなのオペラ」の公演で上演し、昨年に再演した。場所はテイアラこうとう、という1102席の都心から離れた会場だった。当NPOはここを根城としている。世界初の改定だから、雑誌に書いたり公演の為に宣伝もしたが、興味を示した人は大変少なかった、いや、殆ど居なかったと言っていい。マスコミにも全くと言っていいほど出なかった。

それにいち早く目をつけたのはニ年連続で観にきたイタリア文化会館の文化担当官・副館長、カンパナーロさんだった。彼は素早く本国にそれを伝えた。もう一人、その昔、ヴェローナのアレーナでの「ドン・カルロ」で共演したヴィルマ・ヴェルノッキ、ボローニャ音大教授も昨年、観にきて大変な興味を示した。さすがオペラの国の関係者である! わが国では新国立劇場での「バタフライ」公演でさえも改定されずに上演されているのだ!

その成果が現れることになるが、そんなことはどうでもいいという日本人が結構いるのだ!ああ、何と言う情けなさ!!
posted by opera-okamura at 22:23| Comment(0) | 日記

2005年12月02日

プッチーニ・フェステイヴァルへの出演

せっかく持参した新しく買い求めた携帯パソコンがミラノでしか開通せず、後のヴェネツィア、ボローニャ、ローマではワープロとしか活用できなくて、毎週書くつもりが、かくのごとく間が空いてしまった。

 しかし、プッチーニの家のあった、ピサの斜塔の近くのトーレ デル ラーゴでは、そこで毎夏おこなわれる、プッチーニのオペラ野外フェステイヴァルへの出演が決まった。小生は既にプッチーニとその二人の台本作家が誤って書いた、日本の習慣や固有名詞、神仏混同などを日本語で世界で初めて改訂して「NPOみんなのオペラ」で2003・4年と上演したが、そのライブ上演DVDを観て決まったものだ。

 全出演者はこれまで通り、公募オーデイションをプッチーニ財団と共同でおこなうが、詳細は、NPOみんなのオペラとこのホームページでご覧下さい。
posted by opera-okamura at 21:25| Comment(0) | 日記