2006年02月24日

読み替え演出

(2月24日 記)
今、特にドイツ圏のオペラ劇場では、演出家の読み替えが流行っている。読み替えとは、音楽とそれについている歌詞だけはそのままだが、原作のストーリーを(主に)現代風にし、演出家の発想で違う物語にすることをいう。

 何故、そんな風潮になったのか? それは、まず何よりも現代風にすることで昔に創られたオペラに今の客を惹きつけ、時代考証に金を掛けず現代風に舞台を創ることで安く上演する、という興行的な理由が先に立ち、そして次に、読み替えで演出と演出家自身の存在をより際だたせるためにある。

 昨日の朝日新聞朝刊に映画監督・実相寺氏の「善に疑問つきつける構図に感服」という、シュトットガルト歌劇場日本公演「魔笛」の評が出ているが、僕のこのブロッグでの評とは正反対のものである。

 芸術には好き嫌いがあり良い悪いはない。要は読み替え演出の好き嫌いの問題で、彼はコンビチュニーの演出が好きで僕は嫌いだということだ。

だが、今の演出主導に大きく傾いた傾向が、興行上の理由が大きいとすれば悲しいことである。オペラは音楽主導の舞台芸術であって、演出の意味を頭を使い考えるものではないからだ!
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2006年02月17日

モーツアルトの品位

(2月17日 記)
オーケストラボックスの中まで演技空間にしたので、楽員は通常のボックスの中の配置を変更――。時にマイクを使って歌手は歌いーー。演奏中に罵声が、そして掛け声が舞台上の演奏者からかかりーー。とモーツアルトのオペラ「魔笛」は傍若無人の演出のために通常の上演とは全くその面影を変えて日本のお客にお目見えしたのが、現在公演中のシュトットガルト歌劇場。客席は売り切れ満員。

 寛容に演出の横暴を許し、見事な演奏を聴かせたのは、我が友、ローター・ザグロセック率いるオーケストラ、世界的スターは居らず出来不出来はあったが座付き(多分)歌手達、と合唱団。――音楽監督ザグロセックはキール歌劇場時代、お互いに駆け出しの頃の同僚だった。 シューベルトの「冬の旅」の伴奏をしてくれ、何よりも、ろくにドイツ語を喋れない異国の歌手を支え、役を覚えるまでの準備をピアノを弾いてしてくれた恩人。その後、彼はゾーリンゲン・オーケストラの監督となり僕はケルン歌劇場に行ったが、彼に呼ばれてヴェルデイの「レクイエム」を共演した。

 この「魔笛」演出家のコンビチュニイはドイツで今評判のスター。一昨年、ハンブルグ歌劇場での彼の演出のヴェルデイの「ドンカルロ」では、テレビカメラを客席まで持ち込んだ彼の現代に時代を置き換えた演出で、僕ら日本からの聴衆の予約席は、席を奪われたドイツ人の常連客に占領されてしまった。今回も同様に200年以上前に創られた「魔笛」は現代に置き換えられ、甚だ才気ある、時に猥雑な、自分の演出を誇示する演出にオーチャードホール満員の紳士淑女は戸惑い気味。

 「魔笛」はヴァライエテイ音楽劇である。意表を突くのはいいが、あらゆる音楽の持つ、そしてモーツアルト独特の品位はどこにいった! 
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2006年02月09日

ビステッカ・フィオレンテイーナ

(2月9日 記)
 ドイツでそのビフテキを食べようと思ったら、上等なイタリア料理店に行くか、肉屋の冷凍庫をあさらねば見付からない。

ビステッカ・フィオレンテイーナ。大皿に盛られた大きなビフテキ。骨付きの牛肉を鋭利なナイフでこそげ落として食べるイタリアのビフテキ。テイーボーン・ステーキと英語では呼ばれるあの美味は、イタリアと同じ肉食のドイツ人は殆ど食べない。

日本でも相当のイタリア料理店でないと出てこない。牛肉の質が違うので、飼料で育つ和製牛肉ではあの味は出ない。放牧され自然の牧草で育たないと駄目らしい。

「日本人は知らないですよ」。一時帰国して、ビステッカ・フィオレンテイーナは近所のかなり大きな肉屋でも見付からなかった。都心の大食品店にでも行かないとないと言う。そこで一番上等なヒレステーキを頼んだ。「4000円です」。奥に引っ込んで、切り出してきたビフテキを計量して、遠慮がちに売り子は言う。たった一枚、150グラムの肉が何と4000円!ドイツなら不買運動が起こるぞ!彼等はその10%くらいの安肉を食べているのだ。

同じ肉食民族でもゲルマン/アングロサクソン系とラテン系では、肉の食べ方は大いに違う。500グラムもある固いビフテキを皆が美味そうに頬張っていたアメリカの食堂を想い出す。あの人達はアングロサクソン系だったのか?

日本で自国産牛肉が輸入協定違反で検査にひっかかり、それでもアメリカの肉は安全だ、と言ったブッシュ大統領はビステッカ・フィオレンテイーナを食べる人だろうか?100%安全でも美味でなきゃ俺は食わんぞ!
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2006年02月02日

我が国固有の文化

(2月2日 記)
我々日本人にとり、牛肉は貴重品で、すき焼きは大ごちそうだが、アメリカ人にとっては常食である。――世界中で日本人は冠たる舌を持ち、食べ物に対する感性は非常に優れているから、危険なものや不味いものは食べないーー」。テレビの国会中継で、牛肉BSE問題での民主党の前田議員の発言の一部である。

 その通りだ。アメリカ人が皆このように考えるなら、ミスであっても危険部位を日本に輸出するすることは無かっただろう。

 主食の米に等級をつけ、その無味の美味を味わうことは同じ米を主食とする中国、韓国の人はしない。小麦、芋、とうもろこし、と色々な穀物を主食とする他の世界の人々も日本人のように主食にはこだわらない。海の幸に恵まれ、四季に富む国土で採れる山菜。それら旬の味を加工せずに微妙な自然の味わいを楽しんできた我々は、前田議員が指摘するように、世界一、味の感性が鋭い。海外生活が永い僕は良くわかる! 
だが、日本に住んだことのない、アメリカ人だけでなく肉を常食とする世界の人々は、言葉の説明だけではそんなことは解らない。だから、日本人は肉の輸入に被害者意識が強すぎ、あまりにも神経質だ、と非難するかもしれない。

 食文化だけでなく我が国固有の文化は、電気製品や自動車などとは違い、簡単に輸出できない。そして、危険だと感じる食品を我々は決して食べないように、国の大きな特質として国際関係に大きな影響を与える要因となる。だからこそ、我が国文化紹介の必要性はいくら声を大にしても足らないのだ!
posted by opera-okamura at 19:11| Comment(0) | 日記