2006年05月29日

日本の歌だけのコンクール

(5月29日 記)
日本歌曲コンクールは滝廉太郎や三浦環が演奏した、我が国洋楽揺籃の歴史的演奏会場、上野の旧奏楽堂、で既に17回を数える日本の歌だけの、我が国で最も重要かつ注目されるコンクールである。このコンクールをやろうと言い出した人間として鼻がたかい!

 今年の歌唱部門は外人も加え日本の各地から応募者218名を数え、来年は第1次予選日をあと1日増やせる態勢をを取った。第5回目から加わった作曲部門も今年からは、中田喜直賞部門を加え更に充実してきた。

 作曲・一般の部で1位を取ったのは「“毛”のモチーフによる或る展覧会のためのエスキス」という不可思議な詩につけた、沢山の打楽器を伴奏にしたテナー歌手のための森山智宏・作品。声を、詩を演奏する楽器にみたて“――けだものの毛くだものの毛ももの毛ものの毛”――と、アイデイアで勝負した曲。一方、“正直じいさんこぶがなく、なんだかさびしくなりました。意地悪じいさんこぶがふえ、毎日わいわいないてます。――”と中田喜直賞部門の1位は金子みすずの詩につけた甚だ解りやすい小原孝の曲。

 例年5月の連休あけに開催されるコンクールへの応募制限は一切無し!参加料は1万円。応募をお待ちします!
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2006年05月22日

法の精神

(5月22日 記)
僕が通う駒沢オリンピック公園内トレーニングセンターの男性用更衣室。ここで素裸になり更衣するのは良いか悪いか? 如何に更衣室で同性ばかりとはいえ、礼儀としてパンツは履き局部は隠すべきか? 或いは汗で濡れたパンツを脱いで何が悪い、と堂々とふりチンになり清潔なパンツに履き替えたり、シャワー室へ行っても良いか? そこは文字通り着替えをする部屋なのだ!

 僕はパンツだけはなるたけ早く替え、局部を露出するのはなるべく避けるべきだと思う。

同性でも嫌悪の感を覚える人もいるかも知れない。それなら隠すべきである。僕らオペラ歌手、或いは役者のように、楽屋でのスッぱだかの着替えに慣れている人は少ないのだ。

 更衣室だからふりチンになるのはぜんぜん違法ではない。だが法に触れないからといって、他人に不快感を与えるのは避けるべきだ。局部を露出して更衣をしてはいけないとか、いい、とか書いてある更衣室はないだろう。なら、常識で行動すべきである。

 法に触れなければ何をしてもいい、と考える今の風潮は是正されねばならない。法はそれをかいくぐる為にあるのではない。その法の精神に従って、人々が集団社会行動をする規範としてあるのだ。
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2006年05月15日

詩も歌え!

(5月15日 記)

上野の旧奏楽堂に今年エントリーしたのは218名。棄権が出て200名あまり。玉石混淆、老若男女、金髪、チャイナ服の中国女性と、様々な歌手が持ち時間5分30秒で日本歌曲を2曲を歌う。昨日まで3日連続で聴くのは平均年齢70才程の過去のそして現役の歌手、批評家、作曲家、――いずれもその道の大家==小生を除き==ばかりの審査員。

歌手達は何とか第一次予選を通り抜けようと、必死に喉を競うのだが、殆どが欠点を少なく、そして声を何とか聴かせようと歌う。詩の解釈がない。もしも彼等に歌っている詩を、歌わずに朗読させたら、誠に無愛想な、面白くない、悲惨なものになる。そういう歌である。

歌は詩を伝える芸術でもある。美声だけでは発声練習のコンクールになる。なのに無意識のうちに声を出すことに意識が集中してしまっている。

20日には50名が残った。我々、お尻を痛くして聴いている審査員が飛び上がるような見事な歌唱を聴かせてくれ!
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2006年05月06日

拝金の日本

(5月6日 記)
恩――自分を育ててくれた父母への恩。自分の存在を創ってくれた祖先への恩。自分を教えてくれた師への恩。自分を守ってくれる国への恩――。義――友への義。同門の人への義。一宿一飯の義――。などなどの恩義。それから出た、父母への、祖先への、――孝。家長への、主への、藩への、幕府への、天皇へのーー忠。すなわち忠孝。

 考えてみると、この恩義・忠孝が敗戦までの日本人のバックボーンだった。明治維新は幕府への恩義・忠孝が天皇へと替わったのに過ぎない。

 だが1945年の敗戦からはどうか!我々日本人はひたすら初めて肌で接する欧米・文明の中の豊かさを追い求め、世界第二の経済大国になり、バブル崩壊を経験し、そして、世界的なIT革命の中に身を置き、益々、老若男女・貧富の差を問わず、リッチになろうなろうと汲々としている。

 恩義・忠孝は敗戦を期にして、拝金に変わった。金をより持つことが、残念ながら今や日本人の目的なのである。
posted by opera-okamura at 15:32| Comment(0) | 日記