2006年11月26日

公園

駒沢オリンピック公園に行って帰宅すると約一時間。連日歩く。薄紙をはぐように手術の後遺症が取れていく。一ヶ月を過ぎた今、速歩で休みなしでも何でもない。

公園のひと隅に土日祭日は焼き芋屋が焼き芋と木の匂いを漂わせて開店。親子がいそいそと買っていく。数日前に買った時は一本700円。だが今日は二本で800円。ほの甘くやわらかい。この間は何で高かったんだ!なんてアバウトな値段に文句を言う人は居ない。周りに競合する焼き芋屋はない。気に入らねば買わなければいいんだ。公園に自動車は入ってこない。たまに通行証をつけた落ち葉集めの小トラックが最徐行で人を避けていく。子供たちは嬉々として遊びまわる。一家団欒のお弁当。手を組み寄り添う恋人同士。素晴らしいフォームで走る若者は、走ってるのか歩いてるのか解らない老人を抜くとき、敬老・謙譲の姿勢で速度を落とす。

公園は社会の美しい面を見せる劇場である。
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2006年11月19日

出稼ぎ

 松坂の大リーグ移籍料は60億円!!ヤクルトの岩村が5億ウン千万、既にイチローが、松井秀樹が、城島が、などなど。これからも本場ベースボール・マーケットを目指し、続々と大金での移籍は続くだろう。

 出稼ぎと言えば、実は僕も1960〜70年代、出稼ぎのオペラ歌手だった。野球と大きく違うのはその契約の額。オーストリー・リンツ歌劇場の第一バスとして初の契約を得た僕の年収は松坂の投げる一日分にも当らない。でも席数700余りの歌劇場の全出し物の主役バス役は僕一人で勤めるのだ。以後、西独キール、ケルンの大舞台へと出世できた。ケルンのような大劇場は年間40幾つかの演目で360回程も公演しているのだから第一バスは4名いた。その中の2名が日本人の、僕と大橋国一だった。白人が白人のために創ったオペラに東洋人、それも日本人が2人も揃って第一バスを務めたのだから、非常に珍しい。思えば日本人出稼ぎオペラ歌手の進出はあの頃が最盛だった。大橋君とは僅か1年のケルン歌劇場での共同出稼ぎで、彼は癌のために儚く世を去った。

 野球選手は日本でも大金を稼ぎ、更に大リーグへと名誉と金を求め移籍していく。オペラは、日本では全然食えないのに、この頃は出て行く人も少ない! クラシック歌手は一握りを除けば、皆、先生稼業で食っているのだ!ああ!
posted by opera-okamura at 23:06| Comment(0) | 日記

2006年11月12日

トイレットペーパー

たった10日間の入院生活だったが無聊だった。部屋でパソコンに向かい、本を読むだけの毎日。買い込んでおいて読めなかった西洋音楽の歴史という、社会の動きと連動した音楽史の本を読み始めたが、はかが行ったのは手術前の3日だけ。幾ら患者負担の少ない内視鏡下手術とはいえ、7時間20分も骨を削り肉を切ったのだから、横になると寝るだけ。パソコンの前には長くは座れない。

 トイレにしゃがむ。いきまないようにゆっくりと用を足す。目の前に使用前のトイレットペーパーのロール。表紙に意味の無い楽譜がなぜか書いてある。その下に「Tears off evenly & ends waste」。これを即座
に「均等に千切り、捨てて終わる」と解ったら、貴方の英語力は相当よい。こういう3人称での文はヨーロッパ系語を常用している人には簡単なのだがーー。

 だけど病院のトイレに何でこんな英語の使用法が必要なんだ?均等に千切ろうが、どう使おうが使う方の勝手じやないか!高校のトイレットに授業代わりに置いたら如何?
posted by opera-okamura at 17:50| Comment(0) | 日記

2006年11月05日

教育の為の犠牲

 文化大革命で都会を追われ、疲弊した地方の農家に強制的に働きに行かされた中国の若者。彼の家系は無学。向学心に燃えた彼も又おぞましい革命の為に無学で青春を終える。農村で知り合った同じ「下放」=(文化大革命で農村に行かされる事)=に追われて来た娘と結婚。やっと革命の嵐が収まり、二人は上海で一人娘を授かる。

 中年になってしまった男は日本に行き、自分達夫婦が果たせなかった学問取得を娘にさせるために稼ぐことを決め、親戚縁者を廻り大枚42万円の借金をして、人里はなれた青森の山中の日本語学校に入学。だが中国の家族への仕送りの為に、中途にして学業を放棄して東京に出、料理屋などを転々として、稼いだ金を全部家族に仕送る。妻も上海で職を得、娘の学資を稼ぐ。

 家族が分かれて13年が経った。娘はニューヨーク州立大学医学部に合格。上海から渡米の途中、東京で24時間の乗り継ぎの間に父と再会。最初に稼いだ料理店に娘を連れて行き昔の仲間に自慢した父は、短い再開が終わり、正式な滞在許可がないために成田空港駅の一つ手前の成田駅のホームで娘と別れざるを得ない。そして彼は日本で稼ぎ続ける。更に2年が経ち12回もの申請を繰り返した結果やっと妻はニューヨークの娘に逢いに行けることになり、彼女も娘と同じく、東京で乗り継ぎの合間に15年ぶりに夫と逢える事になる。二人は日暮里駅ホームで再開。風呂も無い貧しいアパートで彼は妻のために夢中で手料理。そして又儚い再開の後、成田駅ホームで二人は別れる。――やっと娘はニューヨークで医者として自立し始める。男は妻のいる上海に帰る決心をする。彼は昔やむなく離学した想い出の日本語学校を青森に尋ねる。廃校になり誰もいない校舎に向かい彼は離学を恥じて一人深々と頭を下げる。

==娘の教育のため、自分を犠牲にした一中国人の感動的なTVドキュメント==。暖簾を得るためだけに勉強する日本人が忘れてしまった、教育に対する熱望を中国人は持っている。でも、彼は日本で稼ぎ、娘はアメリカで学ばせた。日本で学べば父娘は一緒に日本で暮らせたのにだ。中国からみる日本の位置はそんなものだ。高校の必修授業数問題での我々日本人の反応をみてその感を僕は強くする!
posted by opera-okamura at 09:37| Comment(0) | 日記