2007年02月17日

国際改訂版「マダマ バタフライ」顛末記―11

モノオペラ「人情歌物語 松とお秋」。それは日本国民オペラを創作しようとして考えたものである。確かにそうなのだ。我々の国民オペラはまだ残念ながら存在しない!だが一番初めの考えは、安くないと絶対に再演されないから国民オペラにはなり得ない。だから安上がりなモノオペラを創ろう、という金の論理からだった!。志がない、品位がない、と言う前に、どうかオペラを創るための金の工面に耳を傾けていただきたい! 僕は私的オペラ運動で一番難しく、そして大切なのは、歌手の選抜でも、指揮者、演出家選びでもなく、金の工面だということをイヤと言うほど味わったからである!既に書いたが、満員でもオペラは赤字だという宿命を負っている。世界中何処でもそうだ。赤字は公的私的メセナで帳尻を合わせている。NPOみんなのオペラの‘03年改訂版「蝶々さん」はほぼ満員で793万、’04年のその再演ではガラガラで1265万、‘05年「魔笛」は約7割の入りで630万円、のいずれも赤字である。会場はいずれも江東区のテイアラこうとう1102席。いい会場なのだが都心をはずれ客はついてない。会場費は都心の有名会場に較べるとぐんと安いがーー。NPOみんなのオペラの前身「省エネオペラ」時代から既に10年以上も我々は江東区をフランチャイズとしてきた。
’04年に「蝶々さん」が満員になったのは「徹子の部屋」に僕がゲストとして出れて、オペラ「蝶々さん」のことを喋り、運よく公開ゲネプロ(総練習)の日の開演寸前に放映になったためで、券の申し込みを受ける何本かの電話は途端に鳴りっぱなし。その翌年の再演ではテレビ放映がなかったからガラガラだったのである。
‘05年の「魔笛」はNHKの「首都圏ニュース」が取材してくれ、本公演の昼に放映されるはずだった。ところが松井の出ているヤンキースの大リーグ試合がエラーをやったりヒットを打ったりと遅々として進まず、画面を見ながらやきもきしているうちに、そのまま野球試合を続けられてしまい、こっちの放映はお流れ!!あれがあれば恐らく満員になっていたのだ!松井よ、この嘆きを覚えておいて欲しい! 今回の’08年プッチーニ・フェステイバル出演中止といい、何とついてないことよ!! 杉並区の女子中・高校が公開総練習の一回をプログラムつきで一席四千円で買い切ってくれ、440万円の想定外収入があり‘05年「魔笛」は630万の赤字ですんだので、さもなければこれまた一千万以上の赤字だったのだ!
事務経費等を加えてNPOみんなのオペラ累積赤字の約5000万円は僕が埋めた。 赤字公演続きのあげく思い付いたのが日本伝統の浪曲、落語、講談などの話芸だった。そうだ、庶民の悲哀を描く周五郎の短編を脚色して和魂洋才のモノオペラを創り自分で演じよう。音楽は大中恩だ!これなら安く、面白く、お呼びがかかり、うまくすると国民オペラになる可能性がある!――続く。
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2007年02月10日

国際改訂版「マダマ バタフライ」顛末記―10

相当昔のこと。オペラ「ファウスト」――グノー作曲、を日比谷公会堂で歌ったとき。舞台に出る直前に、マルガレーテ役の砂原美智子さんが震えながら僕に言った。「怖いわ!うまくいく様に神様に祈って!」。「それだけは出来ないですよね!(笑い)」。僕は悪魔メフィーストフェレス役。悪魔が神に祈ることは絶対にない!!

NPOみんなのオペラの理事長だった中江要介・元中国大使が言っていた。「パリのオペラ座で蝶々さんを歌った砂原さんを楽屋に訪れたとき、どうして日本の習慣などを演出家などに教えて舞台を改善しなかったのですか、と尋ねたら、とてもとても、そんな暇はないんですのよ、という答えでした」。確かに蝶々さん役は主役中の主役である。全幕で出ずっぱりで、アリアは4つもある。そして15歳の芸者なのに、40歳の女性でも表現できないような、毅然とした武士の娘の強さが声にも演技にもなければならない。三浦環を嚆矢として、数々の日本人ソプラノ歌手が蝶々さんを歌ってきたーー。僕が個人的に知っている人でも、山口和子、林康子、東敦子、松本美和子、などなど。大役を歌う彼女たちが砂原さんのように、日本誤認を改める暇などとてもとても無かったとしよう。だが青山圭男のメトロポリタン歌劇場を始めとして、幾人もの演出家が西欧で「マダマ バタフライ」の演出をしている。彼らは衣裳や所作など日本人スタッフを同行して仕事をした筈だから通常日本を知らない演出家が侵す日本誤認はしてないと思う。だが原作の誤認を訂正しなかったのは、偉大な原作
者プッチーニに遠慮をしたのか、見落としたのか、それとも敢えて看過したのか!? 

プッチーニ・フェステイバル財団モレッテイ監督は原作誤認訂正の意義を認めたからこそ、後に触れるが、イタリア人音学学者ミケーレ・ジラルデイーと僕との共同改定で国際改訂版を創り、その版で来‘08年のトーレ・デル・ラーゴでのフェステイヴァル公演を計画したことを付け加えよう。

 「この人が何を哀れんでいるか解る?――お前の母がお前のため、雨の日も風の日もお座敷に出て、飢えと寒さを凌ぐため、人々に媚を売って、どんな厭な客にも笑顔をつくり、どんな酔っ払いにも、どんなことを強いられても、逆らえず逆らわず、――この母はお前のために踊らねば、お前のためにお座敷で歌うの。楽しく陽気な歌はすすり泣きの歌なのよーー。ああ、no、no、厭な恥ずかしい仕事をするなら、死ぬわ、踊るなら、命を絶った方がいいわー! Ah、死ぬわ」。これは第二幕の蝶々さんのアリア。アメリカ領事がもしもご主人ピンカートンがアメリカから帰ってこなかったらどうしますかと聴くので、蝶々さんがピンカートンとの間にできた子供を抱きながら答える場面。半玉芸者としてお座敷に出ていたときと違い、蝶々さんは今や人妻である。それを意識した僕の改訂版である。

――原作では:ーー元の芸者に戻り、雨の日も風の日もこの子を抱いて街に出て、歌を歌い踊りを踊って、道行く人の情けを乞うくらいなら、死んだ方がましだわ、――と子供を抱いて号泣するのである。明らかなプッチーニと二人の台本作家の芸者誤認。明治の当時“日本に行って芸者を見ざるは、エジプトにてピラミッドを見ざるが如し”と言われていた。芸者と並んで欧米で有名なのはハラキリだった。これもこのオペラの中に出てくる。――続く。
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2007年02月03日

国際改訂版「マダマ バタフライ」顛末記―9

「人情歌物語 松」の試演会の翌日は改訂版「蝶々さん」のオーデイションだった。

NPOみんなのオペラは全出演者をオーデイションで選出する。――「人情歌物語 松とお秋」だけはモノオペラなので例外だがーー。会場の亀戸文化センターには、オペラ出演の機会をうかがう大勢の若い歌手たちが朝から晩まで、2日間にわたり押しかけた。ダブルキャスト2名の主役の蝶々さん役が当然一番多くて36名。楽暦、国籍、居住地、年齢などに一切の制限なし。入場券販売ノルマなし。蝶々さんのギャラは15万円。オーデイション料は全役そのギャラの10%。東京在住ならまだしも、約一ヵ月半の立ち稽古のための宿代だけでとっくに足が出てしまう。だがこれ以上は残念ながらどうしても出せないのだ。日本のオペラ上演の常識である券の販売ノルマがないのが一つの原因なのだが、如何に多くの歌手たちが歌う場所を求めているかを如実に現している。

 ついでながら書こう。まだ歴史の浅い新国立劇場もそうなのだが、二期会、藤原、など、日本のメジャーオペラ団はそれぞれが養成組織を抱えている。――オペラ団といっても西欧とは違い、劇場もオーケストラもバレー団も持たない歌手の集団なのだがーー。そして養成組織を出た歌手たちにはそのオペラ団の持つ伝統的なにおいがつく。たとえば二期会はドイツオペラ系で藤原はイタリアオペラ系、というように。そしてそのにおいを気にせずに他の団の舞台に立つには実力と人気がある歌手に限られ、彼らにしても非常な勇気を要する。属する団のボスの鼻息をうかがい、自分についたにおいを気にしーー。団に食わしてもらっているのならまだしも、授業料を払って養成所を出て専属料をもらっているかのように縛られるのである。日本古来の流派のDNAがオペラにも継がれている。

 オペラ団の理事は団員の投票によって選ばれる。当然のことながら団員は自分を引き上げてくれるボス歌手に投票する。団員の多くはオペラには出れないことを知っており、歌の先生で食うことを自覚し、教師になることに影響を及ぼしてくれるセンセイに投票する。オペラ歌手とは舞台上で何度(’’’)も役を演じた歌手のことをいう。オペラ歌手であるとは到底言えない歌の先生たちがオペラを製作しているのが残念ながら日本の現状なのだ!

世界中何処でもオペラは金食い虫である。何十人もの編成のオーケストラと合唱、舞台装置、指揮者、演出家、照明家、衣裳デザイナー、会場費、宣伝費、印刷費、事務経費――などなどが要る。満員になっても赤字なのがオペラである。日本ではその赤字は公的、私的の補助金で、そして、養成所のマス教育での授業料から出た金で辻褄をあわしている。皆歯を食いしばってオペラをやっているのだ!それは我々の「蝶々さん」オーデイションに沢山の応募者があったように、やりたい人が多いからである。歌手だけではない。指揮、演出、照明、製作など、何をやっても病みつきになる魅力を持っているのがオペラなのである。かくして、お客様のご都合よりやる側の都合でつくられてしまいやすいのが日本のオペラなのだ!

 ――落ちた人の落胆、怒り、受かった人の満面の笑顔、小躍り。悲喜こもごものオーデイション結果発表の後の出演者の顔合わせのとき。歌手たち、そして中江要介・理事長を始め、指揮の飯守泰次郎、照明、演出助手、などの紹介の後、芸術総監督の僕は言った。「山ほど僕は間違った、我々日本人には耐えられない、ひどいマダマ バタフライを向こうで歌わされ、見せられてきました。原作の日本誤認はマダマ バタフライの故郷のこの日本でさえ、初演から百年以上経った今でも改められてはいません。皆さんとご一緒に、世界初の間違いのないマダマ バタフライをつくりましよう!我が国はオペラをはじめ文化は輸入の大超過です。せめてこのバタフライは間違いのない立派なものにして輸出しましょう」――だがこの段階では外国に持っていく話はまだ全然なかった。――続く。
posted by opera-okamura at 09:34| Comment(0) | 日記