2007年05月25日

国際改訂版「マダマ バタフライ」顛末記―25

「あの野外劇場は風が強くなると音響に影響がでるようです。だから建て替えるのではないのでしょうか」

ローマからヴィアレッジョへの列車のコンパートメントで前に座った男性が言った。僕と家内は日本からの旅行団の一行とローマで離れてプッチーニの聖地、毎夏にプッチーニのオペラで野外音楽祭がおこなわれるトーレ デル ラーゴに向かっている。ヴィアレッジョ迄は3時間だったか。駅にはプッチーニ・フェステイヴァル財団の人が迎えに来ることになっている。リグリア海に面した有名な夏の避暑地ヴィアレッジョからちょっと内陸に入ったトーレ デル ラーゴは車で30分程だと聞いている。

イタリアは地中海に長靴のように突き出ていて、温暖な地中海の、夏に雨の少ない気候に覆われ、世界のオペラ宗主国をもって自認し、夏に世界中から集まる避暑客を目当てに野外オペラ祭を沢山おこなう。イタリアオペラ歌手たちも、休暇中のお客を相手に自分たちの休暇を犠牲にしてここぞと稼ぎまくる。大劇場の野外オペラは、大勢入れれるし、古代に出来てそこにあるのだから、劇場の建築費やメインテナンス費用が少なくて済むし効率がいい。

しかし雨は少ないと言っても、やはり大敵である。オーケストラの中で、特に高価な弦楽器群は雨は一滴でも避けねばならない。

――1969年夏のアレーナ デイ ヴェローナ。僕はドミンゴがタイトルロールを歌う「ドン カルロ」の末席を汚して出演していた。ドミンゴのデビュー、モンセラ・カバレー、カプチッリ、コソットなど綺羅星のように名を連ねた名歌手たちの出演とあり、券は売り切れ。そこで何処からともなく楽屋裏から流れてきたのは「指揮者が指揮棒を下ろし、1音でも音が出たら、その後ドシャ降りの雨になっても誰にも1リラも払い戻しはなしで、俺たちも一声も歌わなくともギャラは出る!」というものだった。まだ天気予報は今のように当てにならない40年ほども前のこと、雲行きが怪しくなると楽屋も客席も固唾を飲んで、空を仰いでいたものだった。

雨もそうだが、風も野外オペラの大敵のようだ。エジプトの古代都市ルクソールでおこなわれた野外のアイーダは風のために音楽が聞こえず、散々のトラブルが起こったそうだが、古代のアレーナ/闘技場も、その昔の統治者の演説もすりばち型の、石で囲われた構造が大変良く聞こえた筈だが、天蓋がないために風が出ると聞こえずらくて困ったのではなかろうか。トーレ デル ラーゴの湖岸野外劇場もご他聞に漏れず風には弱かったようだ。――続く。
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2007年05月18日

国際改訂版「マダマ バタフライ」顛末記―24

長い長い公演。新モノオペラ「人情歌物語 松とお秋」と始めて名づけられた沼津公演。始めて暗譜で挑んだ正味2時間を越える公演の、台詞や音楽のきっかけが解らなくなるとピアニストの安田君の方を盗み見、彼女のきっかけ出しを神頼みに、何とか終えた冷や汗ものの和洋折中の一人9役の歌芝居。僕は浪曲、落語、講談、など伝統話芸の名人たちの凄さをはじめて実感した。彼らは「松」と「お秋」と同じほどの長さのレパートリーを幾つも持っているのだ!

覚悟を決めて翌日、この公演の録音を僕は一人で聞いた。恥ずかしい!必死で余裕なく演じるものだから、酔った松が飲み仲間の信吉に担がれて、罵られ家に入れてはもらえない悪妻のいる長屋に帰る足音が耳をつんざくように聞こえてきたのをはじめ、はなはだ不明瞭な台詞と歌詩、歌うきっかけのおびただしい間違い、人物像の演じわけのなさ、――などなど、――と、一番はじめの拙宅スタジオでの試演会の昔に舞い戻ったようなお粗末さ!

だが作品は良い!そして面白い!ただの浪曲より、落語より、講談より、周五郎という稀有の才能を持った大衆の心を掴む名人が創った話が、大中の創ったクラリネットとピアノ伴奏の和洋混在の音楽に乗って、実に上手く底辺に生きる男女の哀愁として表現されている。僕の知る限り、こんな舞台芸術はこれまではどこにも無かった!これを何とかヒット作品にするのだ。まだ出現していない日本国民オペラに成りうる作品なのだ。

あとは僕自身の勉強しかない。そして次の新宿スペースゼロでの4回公演は、道具を入れ、照明と音響効果を入れ、そしてマイクを使用して、万人に喜んでいただける音楽劇舞台に何としてもするのだ!――続く。
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2007年05月12日

国際改訂版「マダマ バタフライ」顛末記―23

「本舞台で貴方に差し上げる我々のオーケストラ付き練習は4回ですがーー」モレッテイ監督は畳み掛けた。「その他に2回のピアノ伴奏での練習を下さい」僕もすかさず続けた。「そんなに沢山必要ですか、シングル・キャストで?」「いや、事故があると危険ですからダブルキャストでーー、そして、我々NPOみんなのオペラがこれまでやってきたように、全歌手はオーデイションで選びませんか?――ローマと東京で」「それはいい考えだ!――審査員は少数にしましょう。演出の貴方とイタリア人指揮者の他に日伊数人ずつでーー」。話しはとんとん拍子に進んでいく。 

2008年の東京とトーレ デル ラーゴでの上演まではまだ2年以上ある。だがプッチーニ・フェステイバル財団とNPOみんなのオペラの理事長同士のサインのある契約を交わし、オーデイションの告知、人々にそれがしれわたるのに半年、オーデイション、受かった歌手たちが改定した「マダマ バタフライ」の版を覚えるのに半年、東京での練習が1ヵ月半、2ヶ月の船での大小道具と衣裳などの輸送、そしてトーレ デル ラーゴでの2〜3週間の練習と本番と、逆算していくと、時間はそんなにはない。何よりも膨大な資金をどう工面し、向こうとこっち、プッチーニ・フェステイバル財団とNPOみんなのオペラとでどうやって負担しあうのかを決めるのが大仕事だ。「金をどう工面しあうのか、それはこれから話し合いましょう」と言ったモレッテイ監督の言葉の裏には大変な難題が潜んでいたことをその時は感じ取ってはいなかった。半端ではない資金の調達。まだ全然ついてないその目途をどうつけるのか!喜びのあまりそれには頭がついていってなかった。

「では来年夏にトーレ デル ラーゴに行きます。毎年やっている僕と一緒の旅行でローマから旅行団と別れて打ち合わせに伺います」

素晴らしいニュース!僕が世界初にやった原作の日本誤認改訂。その版で、僕の演出で、プッチーニ生誕記念の新野外劇場?落としを、NPOみんなのオペラの「マダマ バタフライ」で世界のプッチーニの中心地のフェステイヴァルで飾るのだ。――続く。
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2007年05月04日

国際改訂版「マダマ バタフライ」顛末記―22

「イタリアの何処で?」モレッテイ監督に僕は身を乗り出して聞いた。「私が監督を務めるプッチーニ・フェステイバルで貴方のNPOみんなのオペラ作成の「マダマ バタフライ」を再来年2008年に国際改訂版の初演として上演しませんか?再来年はプッチーニ生誕150周年記記念の年で我々は劇場を新しく建て直しますが。その?落としです」。

――イタリアが世界に誇る大オペラ作曲家は多いが、中でも作品が世界の常打ちレパートリーとなっている数が際立ているのが、ロッシーニ、ヴェルデイ、プッチーニの3人である。ロッシーニはその生まれ故郷ぺーザロで、彼のオペラだけでロッシーニ・フェステイヴァルが毎夏おこなわれている。ヴェルデイの作品、特に「アイーダ」を核として毎夏、有名なヴェローナのアレーナ(古代ローマの闘技場)でフェステイヴァルがおこなわれ、プッチーニは、これも毎夏、彼の生まれ故郷ルッカに近く、彼がこよなく愛しオペラの筆をすすめた小さな湖岸の村トーレ デル ラーゴの野外湖岸劇場でプッチーニ作品だけで、既に50年以上毎夏フェステイヴァルがおこなわれてきていた。トーレは塔の意味でラーゴは湖。長靴イタリア半島の真ん中よりちょっと上、リグリア海に面した斜塔で有名なピサと海岸保養地ヴィアレッジョの中間程の地点を僅かに内陸に寄った所にこの湖は静かにひっそりと佇んでいる。正式にはこの大作曲家の名前を入れてトーレ デル ラーゴ プッチーニと言う。――従ってプッチーニ・オペラの世界の中心で日本製「マダマ バタフライ」を、僕が世界
初に原作の日本誤認を訂正した版を基に上演してくれないか、というのである!「音楽学者ミケーレ・ジラルデイさんが貴方の日伊両国語混合での改定の日本語の部分を原語のイタリア語にします。だから改訂版は貴方とジラルデイの共同の名前になります」。プッチーニと二人の台本作家の著作権保護期間70年は過ぎていたから大丈夫だと思っていたとはいえ、本家本元のプッチーニ・フェステイバル財団の監督の口から、原作者の日本についての誤りを100年以上経った今、訂正した版で上演してくれと頼まれたので改定はお墨付きを得たことになる!そして物の輸出が際立って多い我が国から、殆ど唯一と言っても間違いない日本を世界に紹介してきた世界共通の文化のバロメーター「オペラ」という舞台芸術「マダマ バタフライ」を、正しい日本の姿で世界のプッチーニ・オペラの中心に始めて輸出できる。しかも記念すべき年に新劇場の?落としだというのであるから、この上ない名誉である!!――続く。
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