2007年06月28日

国際改訂版「マダマ バタフライ」顛末記―30

「松は口を盃に近付けて、新吉は反対に盃を口に持って酒を飲まれたほうが、二人のキャラクターの違いがはっきりと出ると思います」。そういう所作・振り付けの立花志津彦・先生の伝言を演出助手だったI君が楽屋にもたらしれくれた。二人とも’03・4年、改訂版「蝶々さん」公演の仲間である。スペースゼロ公演後、2ヶ月あまりたった東京文化会館(小)のNPOみんなのオペラ本公演で僕の立ち居振る舞いを立花先生に見てもらい、そのダメ押しを教えてくれとI君に頼んであった。ここで初めて僕は、モノオペラ「人情歌物語 松とお秋」において、僕自身の演技を、演出者としての僕にではなく、他の人に指導してもらえたのである。

言わずと知れた「マダマ バタフライ」は日本を舞台にしたオペラで、第一幕の芸者の踊りの振り付けだけでなく、全幕を通してその「和」の演技の指導が非常に大事である。ことに洋風な生活に慣れきってしまった現代の日本人には、――僕もまさにその一人なのだが、――所作の指導者が無くてはならない。それをお願いしたのが、日本舞踊の名手、立花志津彦・先生――実は女性で伊藤布三子さんーーなのである。

 一人で9役を演じるのだから、その違いを際立たせねばお客は、誰を今演じているのかが判らなくなる。安屋台の飲み仲間、37歳の日雇い人足・松と、営々苦労して質屋を経営するまでになったが、若い女房に浮気をされて逃げられた初老の信吉を演じ分けねばならないのは必然の命題である。盃に自分の口を持っていって飲む松は、盃を口に持ってくる新吉に比べ身分がより低いことを表しえて妙である!

 次の公演では彼女に振り(身のこなし)を直してもらおう、少なくとも、松とお秋の両方で3役ある女性役の振りには絶対に必要だ!女役は僕のオペラ人生では、このモノオペラで始めて演じるのだから。――そう僕は心に決めた――続く。
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2007年06月23日

国際改訂版「マダマ バタフライ」顛末記―29

自分の演技は自分では見れない!いや、自分では後方の紗幕の画も全く見れない。照明すら自分への当たりだけは解るが、あとはどんなになっているのか皆目解らない。おそらくこういう経験をした人はかって居なかったであろう!自分で演出をすると決めたのはほかならぬ僕だから、自業自得だ。

日本で始めての国民オペラ誕生を夢見て創った「人情歌物語 松とお秋」はそんな始めての体験で、初めてオペラとしての形式をとり、新宿スペース・ゼロでおこなわれた。全9役を演じ歌う主演の僕は、演出とは名ばかりでの出演だった。

――僕がこれまでNPOみんなのオペラで創った2つのオペラ、改訂版「蝶々さん」と「魔笛」。いずれもグランド・オペラと呼ばれるべきもので、大勢の個性溢れる役柄の人々が舞台を埋める。「蝶々さん」では第一幕の蝶々さんの結婚式場面での親戚縁者が集まるにぎにぎしく騒がしい場面から、第二幕の花の二重唱での、ピンカートンが帰ってくると信じた蝶々さんと侍女すずきのはしゃぎ振り、第三幕での蝶々さんの(僕の演出では侍女のすずきなのもだが)自決の場。「魔笛」では第一幕冒頭の大蛇、夜の女王とザラストロの登場、第二幕冒頭の会議の場面、火と水の試練。などなど大きな見せ場にことかかない。――

だが一人で9役も演じ分けるこの新モノオペラは主役の僕の演技が全てである。これまで演出してきたオペラとは全く違う演出の腕が要求される。

松と新吉という、安屋台“やなぎ屋”の飲み仲間、そして屋台の爺さん。場末、須崎の岡場所の女主人おつねとお秋、お秋のひもの村次と船頭の藤吉。それら登場人物たちの心理を細かに演出し、たった一人だけの演技で、落語や浪曲の名人のように演じ分けなければならない。だがどうやって?――演じている自分を自分で見ることは出来ないのだ!

――今考えてみると、高いところから自分を見た演出ということはどこかに置き去りにして、自分の歌と演技にのみ夢中で、本当のオペラという形になったスペース・ゼロの4回の公演は終始してしまったのだった。ーー続く。
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2007年06月16日

国際改訂版「マダマ バタフライ」顛末記―28

新宿スペースゼロは地下にある劇場である。全労済会館の地下で、新宿駅南口から徒歩5分、甲州街道からちょっと入った所で地の利がいい。客席数は可変で、今回の「人情歌物語 松とお秋」公演では300席あまり。ここで4回、新モノオペラ「人情歌物語 松とお秋」は‘06年4月の全労済におこなわれた文化フェステイヴァルの中で公演した。元・全労済理事長の鷲尾悦也・当NPO理事長のお世話である。

 ここでスペースゼロ・スタッフの大小道具、照明、音響が入り、初めてオペラという体裁になった。我がスタジオでの試演会から数えると既に4年以上の年月が経っていた!

 よしず囲いの粗末な屋台、その前に置かれた椅子、徳利と銚子。これが「松」の舞台道具のすべて。30センチの台上の畳一枚、行灯、座布団、「松」のを使い回す徳利と銚子、団扇。これが「お秋」の舞台道具のすべて。屋台と畳を挟んで両側にクラリネットとピアノが置かれ、後方の紗幕に「松」では裏寂びれた長屋の細道、「お秋」では女郎街などの画が映し出される。共に江戸時代のものである。

 「松」は北風吹き荒れる冬の、そして「お秋」は真夏の話し。かたや裏寂れた屋台で水で割った安酒を飲むことを生き甲斐としている日雇い人足、かたや江戸中の岡場所という岡場所をひもに入れあげてたらい回しにされている安女郎、という底辺に生きる男女の悲哀を描いた山本周五郎の短編2つを僕が脚色し、大中恩が和魂洋才で曲をつけたもので、浪曲の曲師が三味線一本からクラリネットとピアノになったと言うと一番分かる、日本伝統の話芸を武器とした舞台劇。前編「松」、後編「お秋」合わせて2時間強、全9役を僕が一人で歌い喋る、まだ誰も手をつけたことの無かった新モノオペラである。

 さて歌い演じそして演出をするプレイイング・マネージャーの僕が、はじめて完全なオペラとなって一番困ったのが、自分で自分に演出をするという二律背反的な命題の処理であった。ーー続く。
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2007年06月15日

国際改訂版「マダマ バタフライ」顛末記―28

新宿スペースゼロは地下にある劇場である。全労済会館の地下で、新宿駅南口から徒歩5分、甲州街道からちょっと入った所で地の利がいい。客席数は可変で、今回の「人情歌物語 松とお秋」公演では300席あまり。ここで4回、新モノオペラ「人情歌物語 松とお秋」は‘06年4月の全労済におこなわれた文化フェステイヴァルの中で公演した。元・全労済理事長の鷲尾悦也・当NPO理事長のお世話である。

 ここでスペースゼロ・スタッフの大小道具、照明、音響が入り、初めてオペラという体裁になった。我がスタジオでの試演会から数えると既に4年以上の年月が経っていた!

 よしず囲いの粗末な屋台、その前に置かれた椅子、徳利と銚子。これが「松」の舞台道具のすべて。30センチの台上の畳一枚、行灯、座布団、「松」のを使い回す徳利と銚子、団扇。これが「お秋」の舞台道具のすべて。屋台と畳を挟んで両側にクラリネットとピアノが置かれ、後方の紗幕に「松」では裏寂びれた長屋の細道、「お秋」では女郎街などの画が映し出される。共に江戸時代のものである。

 「松」は北風吹き荒れる冬の、そして「お秋」は真夏の話し。かたや裏寂れた屋台で水で割った安酒を飲むことを生き甲斐としている日雇い人足、かたや江戸中の岡場所という岡場所をひもに入れあげてたらい回しにされている安女郎、という底辺に生きる男女の悲哀を描いた山本周五郎の短編2つを僕が脚色し、大中恩が和魂洋才で曲をつけたもので、浪曲の曲師が三味線一本からクラリネットとピアノになったと言うと一番分かる、日本伝統の話芸を武器とした舞台劇。前編「松」、後編「お秋」合わせて2時間強、全9役を僕が一人で歌い喋る、まだ誰も手をつけたことの無かった新モノオペラである。

 さて歌い演じそして演出をするプレイイング・マネージャーの僕が、はじめて完全なオペラとなって一番困ったのが、自分で自分に演出をするという二律背反的な命題の処理であった。ーー続く。
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2007年06月08日

国際改訂版「マダマ バタフライ」顛末記―27

「オペラ劇場の監督会議がフィレンツエでありましてーー。終わってすぐに車を飛ばしたのですが」ハンドルを握ってきたモレッテイ夫人も恐縮している。「ご心配なく。我々は今日はここでは何も予定がないのですからーーで、何か決まったのですか」僕は彼らイタリアの歌劇場の監督会議が何の話をしたのか、興味が大いにある」「別に、何も収穫はありませんでした!」ドライブ疲れを顔に表してモレッテイさんが言う。「さあ、食事に行きましょう!」

 そこは魚料理専門のイタリア料理店だった。もちろん、ヴィアレッジョのような地方中都市にあるのは全部がイタリア料理店だけだろう。日本のように全国どの小都市にも中華料理店があり、ファミレス、すし、らーめん、カレー屋などとヴァライエテイに富むのとは違う。だがヴィアレッジョはリゾートである。そのときはオフシーズンだが、夏に押しかける世界各国からの秘書客はイタリア料理だけながら魚専門、肉専門、ピッツァ専門、北イタリア系、南イタリア系のトマトを多用した店などでの美味に舌づつみを連日うち続け得るのが、地中海の漁獲と、その温暖な風土から来る旨い野菜に恵まれたイタリアなのである。

 その店は「ダ ジョルジョーージョルジョの店」。一室に招き入れられ我々二組の夫妻は席に着くや否や、オーナーのジョルジョさんらしき親父がモレッテイさんに親しげに寄り添い、今日の新鮮な魚を延々と述べ立てる。日本のすし屋のネタでさえ判らないことがある僕たちにどんな魚なのかは全然分からないが、すこしして、目の前の大皿に、築地の店頭に並べてもいい捕れたての小エビが地酒らしい白ワインと共に山盛りに出てくる。完全なナマである!ナマの魚を食べるのは日本人だけだ、と思っていた常識は完全に裏切られた!輪切りのレモンを絞ってもりもり食べる。

 「ダイエット中なので、私はこれしか食べません」奥さんは手を休めずに言う。「自分への言い訳だな!」僕はかみさんに日本語でささやく。それほど甘みがあって美味い!銀座の高級すし、天麩羅で使うえびと同じだ。――続く。
posted by opera-okamura at 10:13| Comment(0) | 日記

2007年06月01日

国際改訂版「マダマ バタフライ」顛末記―26

列車は斜塔の町ピサを過ぎ、程なくヴィアレッジョに着いた。降りたのは僕たち夫婦の他には2・3名の人だけ。季節は避暑シーズンはずれ。がらんとした長い駅ホームの向うから中年の女性が近づいて来た。「シニョール・オカムラ?」「シー、ソーノ イーオ=はい、私ですが」「プッチーニ・フェステイヴァル財団の者です。モレッテイ監督は旅に出ていてヴィアレッジョの、あなた方がお泊りになるホテルに間もなく着きますので、そこにご案内します」―――

―――誰も居ない砂浜には脱衣所だけが点々と場所を埋めている。避暑地のオフシーズンは淋しい。それを見渡すホテルに旅装を解き約束の時間にフロントに下りると、係りのおじさんが、ドットーレ・モレッテイが少々遅れるという伝言を伝えてくれる。「トーレ デル ラーゴは長崎に似てるからマダマ バタフライには格好の劇場ですよ!」――所在無く待つ我々におじさんは人懐こく話しかけてくる。このホテルはプッチーニ・フェステイヴァル財団御用達のもので、関係者が定宿にしているらしい。僕らが何も言わないのに、バタフライ上演関係者だと当たりをつけたようだ。「長崎をご存知ですか?」「いや、まだ見たことは無いけど、皆がそう言ってます。――で貴方はアーテイストですか?」「ええ、モレッテイ監督と打ち合わせに来ました」「実はそうじゃないかと思ってました。あなた方の宿泊料は財団持ちだと言われてますから」「その野外劇場は風が出ると音響が悪くなるのですか?」「そうなんですねーーそれでプッチーニ生誕150周年記念の2008年に建て替えるのです」――列車の乗客の言っていたとおりの様だ。

出迎えの女性の如才の無い態度といい、僕らはこのホテルに招待されたことといい、僕の国際改訂版での2008年のプッチーニ生誕150周年記念年にオープンする新劇場での僕のマダマ・バタフライ上演は間違いなく決まりのようである。

―――「済みません、フィレンツェからの道が込んでいて」――間もなくモレッテイさんが奥さんと一緒に現れた。――続く。
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