2007年07月29日

国際改訂版「マダマ バタフライ」顛末記―34

「爺さんのモノローグ」の作曲が大中先生から出来上がってきた!

==やっぱり帰るか松っあん。嘘アつかねえ松っあん。嘘アついても松っあん。この粗末な吹き溜まりを出りゃ、しゃばの寒空だ松っあん!待っているよ松っあん。男だけの欝憤を、女の知らない悲しみを、このじじいの安酒で、腹の底からぶちまけに、この吹き溜まりに逃げ込むんだ、嘘アついても松っあん、――嘘アつかねえ、松っあん!==安屋台の爺さんの安酒でぐでんぐでんに酔っ た松が、飲み仲間の信吉に自分のおやじがおふくろに散々にこけにされるさまを涙ながらに訴えて、古ぼけた財布から小銭を大切そうに出して払い、よろよろと出て行く。そのさまを見送りながら、松が払った小銭を片手にして歌う、爺さんのモノローグである。山本周五郎の原作には無い、僕が脚色した部分だ。==そうよ、おらあ、ここで飲んだくれるために生きてるようなもんよ!

==周五郎は原作にこう書いた。日雇い人足の松にとって、一生懸命かせいだ小銭を爪に火をともすようにして貯めてから来るこの爺さんの屋台は、若い女房に浮気をされて逃げられた信吉と、人生の酸いも甘いも知り尽くした爺さんに、かかあと呼ぶ彼の悪妻に対するうっぷんを心の底からぶちまけることの出来る、ただひとつの吹き溜まりなのだ。
==女房子供を抱えて、今日の日を食っていくっていうのは道楽じゃねえんだ。それこそ血の涙の出るような思いをすることもあるんだ!
==周五郎は松にこう言わせる。松はかかあがこの彼の苦しみをまったく理解してないと思っている。かかあはかかあで、松がちっとばかりの稼ぎで、外で飲み、悪遊びをしていると、勝手に誤解をしている。いつの世にもある男女の思い違い、自分勝手な解釈。「人情歌物語 松とお秋」での力点は、そのすれ違いからきた松という哀れな男の哀愁。それを僕はお客様に、歌と演技を通じて示し共感を得ていただかなければならない。――続く。(2007年7月29日、オーストリア・ブレゲンツにて)
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2007年07月22日

国際改訂版「マダマ バタフライ」顛末記―34

又、ヴィアレッジョまで車で送ってもらい、我々夫妻はトーレ デル ラーゴを後にしローマへ向かう汽車に乗り込んだ。我々のコンパートメントは向かいに座った中年のおばちゃんがやかましく喋り合い、隣にはテキサスから休暇でイタリアを回っているという老アメリカ人夫婦が、全然わからないイタリア語の波にに顔をしかめている。雨の車窓から見えるのは冬のイタリアの田園風景。おばちゃん達の会話の暴力から離れようとして、僕の頭にはふと妙案がひらめいた。

あの野外劇場の舞台後ろの昼の風景をVTRで録画する。そして夜に開演したら、==野外だから昼間は照明効果がないので夜になり自然光が落ちてからしか開演出来ない==舞台の後ろにスクリーンを設置して、その上にその風景を映像する。つまり、夜なのに観客には昼の長崎の丘の上から見た港とその後ろの入り江があると錯覚させる。そして「マダマ バタフライ」での夜の風景、例えば第一幕での蝶々さんとピンカートンとの結婚式の後に、蝶々さんの叔父ぼんぞーが異教に改宗した姪の蝶々さんと絶縁して蝶々さんの親戚一同を引き連れて引き上げていく場面のあたりから、ピンカートンと蝶々さんの愛の二重唱と新婚の床入りの幕切れまで、そのスクリーンを取り払い、実際のその時のトーレ デル ラーゴの夜の湖の風景を見せて、長崎の丘の上から見た港をそこに再現する。対岸に長崎は出島の家を思わせる照明体をいくつか設置し、湖上に漁火を浮かべ、舞台の後ろの下方から港から沸きあがる船や港湾施設の照明を上向きに浮き上がらせる。まさに‘03・4年に東京で世界初演したときの照明を再現するのである。

携帯パソコンを開け、僕はすぐに昨日、雨の中を舞台に同行して説明をしてくれたマッシミリアーノさんにこのアイデアをメールした。新幹線と違い速度のゆるいローマ行きイタリア国鉄車中からはインターネットは通じる。「大変良いアイデイアです!。でもスクリーンを設置する設備がありません!」。マッシミリアーノさんはすぐにメールを返してきた−−続く。
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2007年07月13日

国際改訂版「マダマ バタフライ」顛末記―32

「では劇場をご覧ください」。モレッテイ監督の言葉に篠つく雨の中を傘をさして僕ら夫婦は歩いてすぐ脇の野外劇場に行った。マッシミリアーノさんが傘を片手に案内をしてくれる。彼は裏方の親方であるらしい。誰も居ない、だだっ広い劇場の舞台の向うは湖が雨にかすんで見える。

僕が使い馴れている通常の劇場の数倍もある、野外舞台を指差してマッシミリアーノさんが言う。「新劇場は幅がぐんと狭くなります」「新劇場の舞台は少しは傾斜させるのですか?」。その舞台は間っ平らである。僕の「マダマ バタフライ」は最後の場面で蝶々さんと侍女すずきが自刃しその血潮で日の丸が出来る。それが客席からよく見えるためには舞台が傾斜しているのが好ましいのだ。「いいえ、これと同じく平らだと思います」「斜めになりますか?」「人手が足りないのでねー!」――機械仕掛けで舞台が動かない限り、それを傾斜させるには平面の舞台上に台を組んで人海戦術でやるしかない。「うーむ!前途多難のようだな!」僕は心の中で喋った。本当に人手がないのか、それとも予算のためか手間のためかは知らないが、人手を出すのを惜しんでいるのか? 後者ならば、傾斜の問題だけではなく、国際協力上演として、まことに前途多難である。――通常の舞台では天井と後方は壁で閉まっていて天井には所狭しと照明器具が吊ってある。だがこの湖岸野外劇場はそれが開いている。そして照明機材は舞台の両側に設置してある大きなヤグラ(業界用語ではイントレとい
う)から照明作業をおこなう。

この大きな特殊劇場をどう使いこなそうか!? 照明はイタリア側が担当してくれる。だが太陽がまったく落ちて暗くなってからでないと、照明は使えない。つまり夜の9時ころでないと開演できない。そして僕は、長崎に良く似たこの天然の風景を利用し、後方の壁(業界用語では後板という)はないままでその後ろに遥かに広がって見える長崎そっくりの湖と島を利用して美しい長崎を創りたい。だがどうやって?――。続く。
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2007年07月06日

国際改訂版「マダマ バタフライ」顛末記―31

 トーレ デル ラーゴはプッチーニが「ボエーム」「トスカ」「マダマ バタフライ」などの名作を作曲した家の傍にある湖。その家は今はプッチーニの手書きの楽譜や遺品などを展示する博物館になっており、その隣に湖に面して3200席の野外劇場が建っている。ここで毎夏、プッチーニの作品を上演される。それは既に‘08年のプッチーニ生誕記念に54回の夏を数えている。

 「さ、ちょっとのドライブですから」。ヴィアレッジョの「ダ ジョルジョ」でご馳走になった翌日は大雨だった。モレッテイ夫妻の車で僕と家内はヴィアレッジョのプッチーニ・フェステイヴァル財団指定のホテルからトーレ デル ラーゴ湖畔野外劇場の事務所に着いた。待ち構えていたモレッテイ監督の芸術秘書、アクアヴィーヴァさんを交えて、僕は原作の改定箇所の打ち合わせに入った。打ち合わせといっても、殆どは僕が日本を誤認している箇所の“どう誤認しているか”の説明である。

すずきがピンカートンに「旦那さまは笑われるが、おくなまという賢人は笑いは人生の花で、悲しみや苦しみをやわらげます」と歌う、おくなまなどという人は存在しないこと。蝶々さんの叔父の僧侶、ぼんぞーは「ちょうちょうさん!」と、さん付けで自分の姪を面罵しないこと。蝶々さんとピンカートンの結婚式が終わり、親戚一同が西欧一神教的に「おー神、おー神」と祝杯をあげないこと。――などなど。

 リコルデイ版のスコアーと僕の世界初の改定スコアーを見比べながら僕の説明を聴いていた二人はただ頷くのみ。無理もない、日本の習慣などは全く知られてないのだ!!

 何でこんな簡単なことをこれまで日本の先人たちは直してこなかったのだろう!!彼らの率直な反応を見ながら僕は改めて考えた。確かに、僕もそうなのだが、既に装置、衣装、などが作られてしまった後に出演者としてその劇場やプロダクションに入った場合は、それらすべてを変えさせる、という大変な仕事が待っているから無理だということはよく解る。だが、すべてを日本人が演出をして、最初から大小の道具や衣装を創らせるような場合も何度かあったはずだ! どうしてその時に日本人の矜持を持ち、正しく全てを創らなかったのか!!、――続く。
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