2007年08月31日

国際改訂版「マダマ バタフライ」顛末記―39

「衣裳などは殆ど間違ってます」僕はモレッテイ監督に言った。トーレ デル ラーゴでのプッチーニフェステイヴァル、今年の「マダマ バタフライ」の総練習を7月18日夜に見て翌日の会談の席上だった。「仰るとおりです」彼は素直に肯定した。「ところで」彼は話題を変えた。「日本はどうして高額なギャランテイをこっちから行くアーテイストに払うのですか!」そして彼は係りを電話で呼び出し、その日に出演していた歌手たちのギャラを僕の前で披露させた。こういう仕事をしている者の共通了解事項としてここにその詳細は書けないが、その額は日本人歌手が日本でオペラを歌って得る額の何倍かである。

日本はオペラで邦人歌手に払う金額は甚だお粗末なのに、外人歌手を呼ぶと法外な、彼らが欧米諸国で得る国際常識を外れた金額を、そしてビジネスクラスかファーストクラスの航空便を提供する。それをモレッテイさんは言っている。彼はかって既にこのことを僕に聞かれもせずに指摘していた。日本に歌いに行くことになったケルン歌劇場の同僚テナーも、嬉しかったのだろう、かって僕が聞きもしないのに同じことを僕に注進してきた。同僚が厚待遇を受けるのは喜ばしいことだが、その負担は日本のお客様にかかってくるのだから、券販売ノルマを課せられたうえ、ケルンでの何分の一かのギャラで歌わされた僕は釈然としなかった。

将来、イタリアと日本で「マダマ バタフライ」の共同公演をする場合にはイタリアと邦人歌手の共演となる。少なくとも日本人歌手へのギャラはイタリア人歌手たちと同じにしなければならない。そして絶対にイタリア人に引けをとらない歌手たちを選ばねばならない。日本人が創る日本を舞台にしたバタフライだから日本人が選ばれたのだと言われるような配役は絶対に避けねばならない。――続く。
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2007年08月24日

国際改訂版「マダマ バタフライ」顛末記―38

 前回にちょっと触れたがオーストリアで先月観たメルビッシュ=オペレッタ/ウイーン気質とブレゲンツ=オペラ/トスカの2つの湖畔野外音楽祭のことを書こう。

オペラは1600年の年にイタリアはフィレンツエで始まったが、その後、200年を待たずしてその中心はナポリやヴェネツイアなどのイタリアの港町からウイーンに移った。「フィガロの結婚」「コジファントウッテ」「ドンジョヴァンニ」「魔笛」など、隆盛を極めたハプスブルグ王朝のお膝元で、オペラ史上最初の常打ちレパートリーを残したモーツアルトが活躍したからである。その後「セヴィリアの理髪師」のロッシーニが現れてオペラの中心は又イタリアに引き戻される。そして1813年という同じ年に生まれたドイツのワーグナーとイタリアのヴェルデイによりオペラは19世紀という時代に,南北拮抗して空前の盛況を呈するのである。ヨーロッパの北と南はオペラで綱引きをしているのである。


さて今回鑑賞した2つの湖畔野外オペラ・オペレッタ祭。それはローマの古代闘技場を舞台に繰り広げられ、世界中から客を集めるヴェローナ、或いは古代闘技場ではないがトーレ デル ラーゴというプッチーニの仕事場での湖畔野外オペラ祭、ロッシーニの故郷ペーザロでの19世紀のロッシーニ劇場や現代の体育館でのロッシーニ・フェステイヴァルなどの, 生の声での夏のオペラ祭を意識し、こちらはマイクを使用し、大掛かりな舞台装置を売り物にしてこれまた多くの客を集めていた。

感心したのは野外オペラの天敵の雨対策。共に湖上に舞台を作っているのだが、メルビッシュのオペレッタ祭のほうはオーケストラボックスを指揮者だけを除き完全に床下に潜らせ、ブレゲンツのオペラ祭は何と、舞台と反対側の陸地に雨天用の劇場を作り、オーケストラボックスはその中の通常の舞台前の位置に置いた。つまり湖上に作られた舞台上の歌手は客席からは見えないように舞台上に置かれた幾つものモニターを見て歌うのだ。指揮者とオーケストラ==ウイーン・シンフォニカー==のほうも、離れた舞台を映し出すモニターを見ながら演奏する。テレビ会議のように電波を通しての映像でコミュニケーションを取りながらの演奏だ。雨になったら観客は湖畔から天蓋のある劇場に移動。露天のほうが7000席なのに室内のほうが6000席しかないのは、地勢上どうしても1000席足りなくせざるを得なかったからだそうである。雨の多い日本でもこれなら大丈夫。だが、わが国に沢山ある湖畔にこのような野外劇場を作っても、客は集まるのか?!イタリアやオーストリアのようにヨーロッパ、いや世界中から集まる客がいるから何十回も1シーズンに公演できるのである。

このトスカの舞台は湖上に人口の島が作られ、巨大な人間の眼/まなこが舞台真ん中に聳え、その中心の瞳が回転する。歌姫トスカの、彼女の恋人・画家で憂国の闘士カヴァラドッシの、悪徳警視総監スカルピアの、まなこを通して劇は展開するのだ。上演シーンの中心人物が瞳の大皿の上で歌い、ビルの窓掃除用ゴンドラに乗った相手役が、まなこの回転板を支える大きな壁に沿い上下する。群集は下の大舞台上で歌い、大まなことその中心の瞳は後方にスペキュタキュラスに倒れて前方に迫り出てくる。そしてまなこ上の処刑されたカヴァラドッシは遥か下の湖に落とされるのだ。勿論これは客の目を盗んで入れ替わった人形が落ちるのだろうが、入れ替わりの際に歌手が誤って落ちる可能性がある。実際、過去に重い衣裳をつけた歌手が湖に落ちた事故があったそうで、今は開演時から6名の潜水夫が常時湖上を警戒しているそうである。裏方を入れると400名あまりの人がこの人口島で上演時にはいるのだそうである。来シーズンもこのトスカは続演され、ほぼ一年がかりで作られたこの大装置のバックステージツアーは、公演の日も、夏のシーズンが終わり冬が来ても有料公開される。――続く。
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2007年08月18日

国際改訂版「マダマ バタフライ」顛末記―37

昨年12月10日。プッチーニ・フェステイヴァル財団のモレッテイ監督からの、衝撃のメールを受けてから書き続けているこの顛末記。充分な時間と余裕を見て、一緒に進めてきた、「マダマ バタフライ」原作の日本誤認を正し、世界初に創る原語イタリア語での国際改訂版を來‘08年、プッチーニ生誕150年記念の年に、トーレ デル ラーゴでのプッチーニ・フェステイヴァルと東京で, 僕の演出で
NPOみんなのオペラが初演する計画が、資金難でダメになったのだった!

――今は先月〈’07年7月〉末に同フェステイヴァルの根拠地トーレ デル ラーゴでのモレッテイ監督との話し合いの後にオーストリアを廻り帰国して、諸事を処理し終わったところ。何とか色々な方々のご援助で、やっとこの計画復活の前途に光明を見出したのだが、慌てずに顛末は順を追って書き続けることにする。

既に書いたが、今年‘07年で53回を数えるプッチーニ・フェステイヴァルの湖岸野外劇場は來年・プッチーニ生誕150年記念の年に建て替えられる。客席数は旧劇場と同じく3200。実は今回のオーストリアではメルビッシュのオペレッタ――シュトラウスU世の「ウィーン気質」――とブレゲンツ――「トスカ」――というこれも有名な夏の野外湖畔音楽祭を観たのだが、共にトーレ デル ラーゴやヴェローナなどのイタリアの野外オペラ音楽祭と比べると、歴史が浅く、生の声でしか上演しないイタリアを意識してマイクを使いーー従って客席がオペラを公演するブレゲンツでも7000席と多く、400年前に始まった史上最初のオペラもモンテヴェルデイのような大作曲家が出て後世に残る作品を書き上げるまではそうであったように、舞台の機械仕掛けを派手にして、主にドイツ、英国など北からの沢山の観客を集めていた。マイクを使った声は、やはりオペラの初めのころに客を集めたカストラートの声と同じようなものだと言ったら失礼だろか。客席にイタリア人は殆どいないという。生の声に固執するオペラ宗主国イタリア人はマイクを使うオペラ上演を極端に嫌う。
ベルカントの醍醐味は生の美声にある。

今回行ったときにはまだ七割くらいの完成度のプッチーニ・フェステイヴァル新劇場を観たのだが、強風だと音響が悪くなるという旧劇場より、どの程度響きが良くなるのかは判らないが、旧劇場の隣に出来て、一回り大きくなった新劇場は、50年以上の風月に耐えてきた旧劇場より、格納庫や楽屋などが格段に良くなるようだった。

昨年ここで僕は堺市民オペラの日本人によるバタフライ公演を見た。大健闘だった!しかし無念なことに真夜中になった頃、第二幕「ある晴れた日に」の歌われる時に雨がポツリと降り出した。コンサートマスターがすぐに立ち上がり袖に逃げ、楽員は急ぎみなそれに続く。弦楽器は雨に打たれると壊れる恐れがあり一番先に避難する。だから上演の中断はコンサートマスターが決める。指揮者ではない。そしてしばしの中断が続き、場内アナウンスで中止が告げられた。「ピアノ伴奏で続けたいのですが、日本の“きもの”も雨にデリケートなので申し訳ありませんが、公演は中止に致します」。――払い戻しは無かった。雨は野外オペラの天敵である!――続く。
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2007年08月11日

国際改訂版「マダマ バタフライ」顛末記―36

町が出来るとまず教会が出来、次にオペラ劇場が出来る。欧米世界でオペラは文化のバロメーターだ。だから日本のオペラを盛んにすることは、日本文化を世界に認めさせる最短の道だ。そう僕は信じて長崎を舞台とした「マダマ バタフライ」の原作の日本誤認を世界初に改定上演し、周五郎の作品から日本伝統の話芸を武器とした「人情歌物語 松とお秋」を創った。

「マダマ バタフライ」は作者プッチーニが目指した正しい日本の姿を示して世界中で上演されることを祈るのみだ。

とにかくこの国は、製品の輸出、経済力が目立ちすぎて、その文化に対して世界の目はそらされがちなのだ。

先進国語で一番通じない言葉は日本語だろう。その日本語で、落語や浪曲のように喋り歌い全9役を演じる「松とお秋」。それに文字幕を出し、後ろに出す紗幕に民族の枠を超えたコンピューター・グラフィックで説明したとしても、果たしてその微妙な日本独特のニュアンスを世界の客に伝えることが出来るのか? 

しかし、このモノオペラは日本独特の背景を持つ男女の物語なのである。――腕は良いが頭が悪い。馬鹿正直で他人に騙される。だから絶対にうだつがあがらないし、稼ぎは咲いてである。それを心の底から自覚し、あきらめ、小銭を溜めては安屋台で飲むのを唯一の生き甲斐にしている日雇い人足・松。それに愛想を尽かし飲んで帰ってきた夜は家に入れない女房。――美男のひも安遊郭をたらいまわしにされ、その度に巻き上げられ、それでも尽くす安女郎お秋。彼女はとうが経ってきた自分の後釜にすべく、たらしこんだ若い田舎娘に、常陸の潮来に流されると告げられた夜に、同じ場末の廓の屋根の下で睦み声を上げさせていたと知り逆上して、ひもを殺そうとするのだが、一足先に自分と夫婦になってくれと通ってきていた律儀な船頭にひもは殺されていたことを知り、初めて新の愛に目覚める話し。こういう底辺に生きる男女の物語は海外のオペラにはない。

もしも「松とお秋」が海外で上演されるようになったなら、――そんなことはとてもとてもあり得ないだろうと心得ながら敢えて書いてるのだがーー僕はいつ死んでもいいほど欣快この上ないのだ!!
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2007年08月04日

国際改訂版「マダマ バタフライ」顛末記―35

前号に続き「人情歌物語 松とお秋」の後編、「お秋」の主人公、江戸の場末、須崎の安女郎・お秋に託した周五郎の、底辺に生きる一人の女のことに触れよう。

新モノオペラ「人情歌物語 松とお秋」は、長崎を舞台とし日本を世界に紹介し続けてきた名作「マダマ バタフライ」と同じく、明治時代の日本人の心を世界に伝えるために、僕が山本周五郎の原作からオペラにしたものだ。

公権力が容認した売春制度は、まことに残念ながら、先進国では我が日本にしかなかったようだ。欧米の売春は個人が勝手にやるもので、それが黙認されていたのに過ぎない。そしてオペラ「マダマ バタフライ」初演の明治後期、欧米では芸者も遊女もごったにして売春婦だと考えられていた。

蝶々さんもその一人で、子まで設け、いちずに夫を信じ帰りを待ついじらしい十五歳の芸者が、長崎駐在時のなぐさみの一時妻だと米人の夫に考えられていることを知らずにひたする愛し続け、金髪の妻を伴い帰ってきたのをみて、初めて異人に裏切られたことを悟り、自刃して果てる。背が高く日本人の男とは違う考えを持っていることに彼女は惹かれた。そうオペラの中で蝶々さんは言っている。

お秋も役者に似ていると言われたいい顔の女衒・村冶にぞっこんほれ込んで、鞍替えさせられては金を巻き上げられた。

女が惚れるのは見てくれのいい男である。いかに識者が見てくれだけではないと力説しようと、頭脳も知性もないイケメンのほうが、学を修め利を学んだブ男より有利なのは間違いない。

金髪の米軍海軍士官も、役者に似た美男子・村冶も、蝶々さんとお秋を扱うその態度は男の片隅にも置けない。それをプッチーニも周五郎も劇の始まりからお客に提示する。冒頭から長崎領事シャープレスに、本当の結婚はアメリカ女性とだ、と語るピンカートン。褥を共にした直後に、彼に江戸中の岡場所と言う岡場所をすべて回されその度に彼に巻き上げられてきたことを夢見るように語るお秋。――岡場所とは幕府公認ではない遊廓をいう。
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