2007年09月28日

国際改訂版「マダマ バタフライ」顛末記―43

 向こうで観たオペラ「マダマ バタフライ」の上演は、日本人の目からは恐ろしく酷いものばかりだった! 長崎港から富士山が見え、蝶々さんの家はむしろ囲いのホームレスの住まいの如く、ひどいときはその家が樹木の枝の中にオラウータンの住みかのように掛けられたそうな! 蝶々さんは、だらしなく襟元がはだけ、帯はまさに蝶々のようにXの字状に背中で結ばれ、まさかり担いだ金時さんのように子供を肩に担ぎ、ふと股まで見せて闊歩し、土足のまま家に入り、――蝶々さんの結婚式に集まってきた蝶々さんの親戚縁者たちは、意味もなく笑い合い、特に長崎領事や蝶々さんの婿・ピンカートンという米人にはバッタのようにしきりに頭を下げ、両腕を袂に入れたりして中国だかベトナムだかわからないジェスチャーで舞台を埋める。 僕自身、僧侶で蝶々さんの叔父のぼんぞーを演じたときのいでたちは、頭にちょんまげのかつらを乗せ、酒屋の丁稚が穿くようなスカートを着せさせられ、逆立ちしないと日本人の僕でも読めない、逆さまに“南無妙法蓮華経”と彫られた鳥居を持ち、舞台に出さされた。ある劇場では烏帽子を前垂らしに被せられた。 当然のことだが、僕は日本人の矜持が許さないと拒絶するのだが、連中は謝りはするのだが、演出家の許可とか、経費の問題とか、色々な理由を並べ立てて変更をがへんじない!朝青龍じゃないが、その国に行ったらその国のしきたりに従わねばならない。歌わねば契約違反だと言われればそれまでだ。泣く泣く、何ともおかしな格好で舞台に立ったのだった。

向こうで「マダマ バタフライ」を見た日本人は皆、その日本の姿に呆れる!特に向こうに長く住み、日本という国の存在が、日本に住んでいた頃と全く異なり、甚だ小さいものであることを感じている日本人は怒り心頭に達するのだ。だが、これは上演に携わる向こうの舞台人、特に演出家の無知と、あるときには有色人種である日本への、潜在意識的、あるいは無意識的な区別・差別からくるものなのである。ではその原作は?――続く。
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2007年09月21日

国際改訂版「マダマ バタフライ」顛末記―42

 僕が「マダマ バタフライ」の楽譜と出会ったのは、ローマに留学した1958年暮れ、ローマ・オリンピックの約一年半前、名画「ローマの休日」が出て間もない頃。バスの役である蝶々さんの叔父で僧侶のぼんぞーが「カミ サルンダ シーコ」と、異教キリスト教に無断で一人こっそりとアメリカ海軍軍人ピンカートンとの結婚式の前夜に改宗してしまったことを面罵する場面だ。

 ヴォーカルスコア(オーケストラの部分をピアノに編曲した歌専用の総譜)を前にして僕は迷った。――カミとは神のことかな? サルンダ シーコとはいったいぜんたい何を言ってるんだろう?――そして習いたての下手くそなイタリア語でサンタチェチリア音楽院の先生に聞いた。歌のイタリア人学生にも聴いた。いずれも「日本人の君が一番よく解るだろう!?」と、腕もこまねく。そして僕がやっと考えついたのは「サルンダ シーコ」は猿田彦だろう、神はやはり神で、僧侶のぼんぞー(坊主のなまり)が「神」を使うのは、日本を西欧と同じ一神教の国だと誤認してのことではないか、という結論だった。猿田彦は道案内の神、つまり多神教日本の神様の一人で、怒って面罵するのに使うには甚だ見当違いである。

 何だこれは!日本を全然間違って書いてるが、実際の上演ではどうなってるのだろう?
そして僕は、向こうで上演される「マダマ バタフライ」公演を興味津々と見てまわることになったのである。――続く。
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2007年09月13日

国際改訂版「マダマ バタフライ」顛末記―41

 前編で書いた日本人の非国際性。それは日本だけにいる人は感じないことだと思う。国外に住んだ人、特に、日本の官公庁や企業の肩書きを持たずに国外、それも常に我々が目線より上に見上げている欧米白人圏、中でも過去に世界を支配したと自負している大国に住んだ人はそれをより強く感じる筈である。

 例えば日本では感じない人種差別。――今世界を支配しているのはアメリカ、前世紀は植民地貿易で冨を築いた英国、市民革命前は絶対王政のフランス、などなどの国での人種差別はこの順番に顕著だと僕は思う。

 ハワイはマウイ島でのこと。大きな国際級ホテルが立ち、アメリカ人達がリゾート生活を暮らすこの島では、日本人が固まって生活し、大挙して日本人が遊びにくるオアフ島などより遙かに人種差別が激しい。

 ある日、この島で見晴らしの良い一画に立つコーヒーハウスに行って、その中でも一番景色がよく見える席に座ろうとしたら、女主人が出てきて「予約席です」と言って家の奥の見通しの悪い席に僕たち夫婦を案内した。かなり時間が立ってもその席には客は来ない。僕らが移動してそこに座ろうとすると、すかさず女主人が近寄ってきて「予約席なのよーーははは!」と哄笑した。その笑いで僕らはやっと悟った。それは「あなた達旅行社は解ってないけど、そこは白人専用なのよ!」という笑いだったのだ!

 実はオペラ「マダマ バタフライ」もまさにそうなのだ。白人圏に住んだ日本人は口を揃えて、このオペラ上演での日本の姿に意義を申し立てる。――続く。
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2007年09月07日

国際改訂版「マダマ バタフライ」顛末記―40

クラッシックと呼ばれるジャンルで、なぜ日本人は外来より招聘するアーデイストには法外に高額なギャラを払い、ビジネスクラス、場合によってはファーストクラスの航空機で往復させ、日本の観光見物までつけてもてなすのか!そしてそのつけが反映されて最高5〜6万円というばかばかしい料金を払っても、更には地方からの上京とホテル代までをも負担して観にくるお客があるのは何故なのか!?

当然のことだが最大の原因は白人崇拝の固定観念。外来という言葉で代表される白人圏のアーテイストが邦人アーテイストより上手いという固定観念が日本人にあるからだ。クラッシックは白人圏で始まり育てられた。日本は遥かに後進国。それは紛れも無い事実だし、押しなべてクラシック演奏は白人たちの方が、有色人種よりも層が厚いのも本当だが、この固定観念はただそれから来たものだけなのか。

ことクラッシック音楽だけに限らない。ペリー来航で日本人の目が始めて国外に向かいはじめて開かれて以来、日本人にとり白人は常に目線の上にある存在で、同胞は同じ目線上に、それ以外の有色人種は目線の下であってきた。欧米列強のアジア植民地化競争の最後の目的地としての日本が、明治維新、日清・日露の戦勝、を得続けた挙句に自らが植民地政策を掲げ、大東和共栄圏という名義の下にアジアの指導者として他のアジア諸国民を睥睨した甚だしい驕りからそれはきたものだろう。見てくれのいい白人。日本より文明の甚だしく進んだ欧米列強。そういう羨望のまなこは等しく日本人が明治の開国以来持ち続け、1945年の敗戦以来、白人たちと肌で接し始めてからさらにその憧れは強くなった。一方、彼らへのアレルギーは徐々に少なくなりはしたが、しかし、意識するとしないとに関わらず、日本は欧米化してき続けたのは明白な事実である。だが心の中はどうか。

終戦後数年たった頃のこと。都バスの中で二人のアメリカ人とおぼしき外人が流暢な日本語で話し合っていた。そこに乗り合わせていた日本人のおばあちゃんが素っ頓狂な声で言った。「この外人たち、日本語を喋ってるよ!」おばあちゃんにとっては彼ら白人たちが日本語を喋ることが不思議でならなかったのだろう。すかざず「外人が日本語を喋って悪いのかい?!」と二人の外人の一人が大声で応酬した。彼ら白人たちは日本語で喋り合うのを咎められていると感じたらしい。何で自分たちを区別するのか、というトーンが濃厚だった。そうだろう、彼らの日本語は完璧だった。その国へ行ってその国の言葉をちゃんと喋って何が悪いのだ!車内には静寂のときが流れた。おばあちゃんは正直だ。白人たちが日本語で話し合うのに肝をつぶし、外人さんがよくもまあバスに乗り、日本語を喋り、日本人のレベルに降りてくれたものだと思ったのだ。車内の日本人たちは自分たちの気持ちを代弁してもらった気がした。そして外人たちに、何で自分たちが日本語を喋ることにめくじらを立てるのだ、と切り返され、自分たちの心の中の白人崇拝をまざまざと認識させられたのだった。――続く
(台風9号直撃の日に記す)。
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