2007年11月27日

国際改訂版「マダマ バタフライ」顛末記―51

ロテイは彼の一時妻お菊さんと彼の従卒イヴの3人で長崎郊外の山の大きな庭に行く。
――この庭園の静けさの中で、この山々の生温い沈黙の中で、下の方から聞こえてくる或る大きな音がいきなり私たちを驚かす。類のない、力強い、恐ろしい音で、或る限りなく長い金属の振動音となってどこまでも伸びて行く。――そうしてまた始まる。更に恐ろしい音を出して、ブウムーー、と、吹き来る風の途絶え途絶えに運ばれて。「ニッポン・カネ!私たちにクリザンテエム(お菊さん)が説明する。――日本の鐘が響いている!――それは私たちの下の方の郊外にある或る寺の恐ろしく大きな鐘である。――なるぼど!力強い「日本の鐘」だ!撞き止めた後で、それがもう聞こえなくなってまでも、震動はあたりの木立の中に残り、無限の震響が空気の中に残っているように思われる。――

オペラ「マダマ バタフライ」のオーケストラ総譜、第一幕の中にTam Tam Grave/ interno〈舞台裏からの低いタムタム〉と指定された楽器が出てくる。キリスト教に無断で改宗した姪の蝶々さんをなじりに彼女の叔父の僧侶・ぼんぞーの登場に合わせて、他の弱奏を突き抜けてその鐘は低く大きく聞こえてくるように作曲されている。これはまがいもなく上記の「日本の鐘」から取られたものであろう。(多分)世界初にこのオペラの日本誤認を訂正した2003年と4年の東京での公演で僕は実際の寺の鐘を録音して舞台上で流した。巨大な寺の鐘を劇場に持ち込むことは不可能であるから、それまでは中国のドラを打楽器奏者がオーケストラボックスか舞台裏で鳴らしていた。1885年夏の日本体験記、フランス海軍士官ロテイの著「お菊さん」から取られた日本の風習、習慣、宗教観などはプッチーニ作曲のオペラ「マダマ バタフライ」に限らず、19世紀末に西欧人が日本を描いた作品の中に多いのではないだろうか。――続く。
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2007年11月20日

国際改訂版「マダマ バタフライ」顛末記―50

再び先週に続きロテイ著「お菊さん」から、原訳のまま引用する。ロテイはフランス海軍士官で維新後に始めて日本体験記を書いた外人でそれがこの本である。
「山の下の、世界雑居の観を呈したあの新しい一区域の真ん中の、登記役場の一種の、或る醜い四角ばった建物の中で、この結婚は署名され、それから副署された。或る帳簿の上に、不思議な書体で、昔は絹の着物を着たサムライであった滑稽な小さな人間どもの集まりの面前で。――それが今彼らは窮屈なヴェストを着てロシア風の帽子をかぶったポリスメンである」。

==1885年7月10日記とある。明治維新・大政奉還が1868年で廃藩置県が72年。この時に武士はちょんまげを切り腰の刀を落とした。それから13年後のことである。1859年に幕府は長崎、神奈川、函館を開港し、英、米、仏、蘭、露との貿易を許可している。ロテイは正々堂々と、お菊さんと長崎市外の十善寺にある家の中で同居することを、日本警察の保護の下に営むことを許されたのである。オペラ「マダマ バタフライ」では官吏と書記が出張してきて、ピンカートンと蝶々さんの新婚の家でこの許可の交付がとりおこなわれ、これがオペラでは結婚式ということになっているのだが、官吏が読み上げるこの結婚式での台詞をみても、神官が祝詞をあげるような宗教儀式的な演出はおかしい。官吏は、“蝶々さんはここに居並ぶ親戚一同の同意で、ピンカートンは自分の意思で婚礼の式をあげる、ここに署名を”と読み上げるのであるから、この結婚式なるものは、ピンカートンという異国船乗りが蝶々さんという日本人女性と一緒に長崎に一時住む許可の出張交付にすぎないのである!

長崎の稲左は外国人居留地区の対岸にあり、ウラジオストックを母港とし不凍港を探す南下政策の帝政ロシアの幕府公認の軍港があった所である。そこには故国を彷彿とさせるウオッカやペチカが供えられた将校倶楽部があり、“稲佐のお栄”という女傑が仕切り、ロシア皇太子、後のニコライ二世がお忍びで来たときに枕辺にはべったのは周知の事実らしい。諸外国の中で最も長崎にいついたのはロシア軍で、ロシア軍人の一時妻のことをラシアメン/洋妾と称した。従って出来たばかりの日本人警察官は、ロテイが書くロシア風の洋装をしていたのであろう。==続く。
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2007年11月13日

国際改訂版「マダマ バタフライ」顛末記―49

遂にロテイはジャスミン嬢を見る。だが彼女をロテイは気に入らない。そしてあっけにとられている日本人一同の前で勘五郎に、あの子はどうしてもだめだと拒絶する。そして、「何故こんな大袈裟な行列を作って、友達やら隣人やらを一緒に連れてきたりしたのか、こんなおとなしい人たちに対して何という侮辱になることだろう」、と勘五郎を非難する。「何といったところで要するに彼女たちは子供を売りに来たのだ。言うまでもなく彼女たちは彼女たちの社会で許されている或る行為を完成しつつあるのだ。そうして実際それはみな私の思っても見なかったほど本当の結婚に似通っている」。==次回に書くが、長崎では官許で日本人女性が一時妻となるために外国人と住むことが許されていた==

 そこで従卒のイヴがロテイに、後ろの隅っこに座っている娘に注意を促す。少し細いがしかし世界中のどこの国へ行っても褒められそうな長い睫毛を持った目の、真っ直ぐな鼻のその子をロテイは勘五郎に所望する。そして一転して下等な媒介人、下司な悪党づらになった勘五郎は、その見物について来た娘はまだ結婚したことが無いマドモアゼール・クリザンテエム(お菊さん)と言うのだけど、こっちだってすぐにまとめて見せましょう、とロテイとイヴを縁側に連れ出して日本人一同と隔離し、今度は座長で社会問題を扱う財政学者のようになり、長い取引を仕切る。――夜が来た。何もかもが夜の10時にやっと片付き勘五郎が告げにくる。「話がつきました。ムッシュウ!あの娘の親が月12ピアストル==約24円。人力車を半月間お抱えで使う金額==で貴方に上げます」。

 かくしてロテイ士官は他の長崎に寄港する各国船乗りたちのように、日本の一時妻・お菊さんと一緒にひと夏を過ごすことになるのである。――続く。
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2007年11月06日

国際改訂版「マダマ バタフライ」顛末記―48

 海軍士官ロテイは彼の部下のイヴという大男と、彼の一時妻ジャスミンを周旋人・勘五郎が連れて来るのを、長崎郊外の借家で待つ。彼の一時結婚の家は二階で下は大家のお梅という主婦とその夫の住処である。
==前項に続き鎖国を解いて始めての日本体験記ロテイの「お菊さん」のことをこの項でも書いている==

 待てど暮らせど現れないのに業をにやしながら、ロテイは何も無いがらんとした、白い畳の敷かれた、歩くときしむ薄っぺらな部屋を眺める。「壁紙には顕微鏡で見るような青い亀が一面に描かれている。開けたての出来る仕切り戸には、杷手(ハンドル)を付ける替りにちょうど指先の格好をした小さな卵形の穴を彼らはこさえてある。それらの小さな穴には青銅の装飾がついてあり、なお仔細に見ると、その青銅には扇を使っている女があったり、次の穴には満開の桜の枝が現されたり、この国民の趣味には何と言う異常な点があることだろう!微細画像に一生懸命になって、その仕事を大きな白い仕切りの只一点の拇指の入るくらいな穴のそこに隠し込んで、その結果としては絶対に虚無の効果を生ぜしめるに止まるのである」

==日本に着いたばかりの外人には無理からぬ事ながら、仲間社会・日本の、目立たぬところで目立つという美意識を、ロテイは早くも見つけたわけである==

 やっとジャスミンの一行が麗々しく現れる。母に叔母に==オペラの始めに蝶々さんが母と叔母に付き添われて出てくるのと同じである==若い女の子たちばかり12人くらい。「そうしてこの大勢は私の部屋に入ってくると、お互い同士のお辞儀で混乱を極める。例えば私が貴方にお辞儀をする。すると貴方が私にお辞儀をする。すると又私が貴方にお辞儀をする。すると貴方が又私にそれを返す。すると私が貴方に今一度お辞儀を返す。そうして私は、どうしたって貴方の名誉にふさわしいそれをお返しすることは出来ない。そこで私は私の額をたたみに擦り付ける。すると貴方は貴方の鼻を床に擦り付ける。彼らは順々に皆四つんばいになる。それはお互いに人より先には出まい、お互いに人より先には席へ着くまい、という風である。そして果てしない挨拶が低い声で囁かれる。顔を床に擦り付けたままで。――彼らは然しとうとう座る。礼儀ばった円形を作って、皆一様ににこにこしながら」。==今だって、特に地方では、こんな風景が仲間社会の日本人間では見られる。そして結局はうまい具合に、社会的身分と秩序に従った席順どおりに収まって座る。他人社会の欧米人にはない習慣だ。彼らは畳に座らないから立ったままで、相手が危害を加えないことを確かめるために手を差し出し、握手をする。目は決して相手から最後まで逸らせない。お互いに好意を持合うということを示すためには抱きいあいもする。仲間社会の日本人も始めは離れて頭を下げ目線は相手から逸らさない。そしてロテイの言うとおり、社会的秩序を延々とお互いに確かめ合い、目線を最後には外して畳にひれ伏し、これ以上は出来なくなってから席に着くのである。==続く。
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