2008年02月26日

国際改訂版「マダマ バタフライ」顛末記―64

「マダマ バタフライ」の、現在世界中で使用されている、1906年末のパリ公演後に改定された、パリ版と呼ばれる版に残る日本誤認。第二幕にはあと三箇所の誤認(歌手の歌う歌詞で)がある。それは第一幕から通して数え:
9)原作:ごろーがやまどりを示しながら蝶々さんと領事に「オマーラには宮殿もお持      ちでー」とやまどりの富裕さを強調する、という第一幕と同じ地名の誤認。勿論、オマーラをオームラ/大村に訂正。原語上演でも同様である。
10)原作:すずきが「イザギとイザナミ、サルンダシーコとかみ」と祈り、仏教の神々を喚起すべく仏前で鐘を鳴らしてーー(ト書きに書かれている)――「てんしょうだい様、バタフライを泣かせないで」と祈りを続ける。
これも第一幕と同じ、日本語と神仏混同の誤認がある。すずきは日蓮宗の祈り「なむみょうほうれんげきょう」を歌い、鐘ではなく鈴(リン)を仏前で鳴らし、「どうかみほとけさま、ちょうちょうさんをなかせないで、けっして」とすずきに祈らせた。これを原語上演でも採用する。
なお、すずきが日蓮宗の祈りを唱えるのは、彼女が日蓮宗徒であるためであるが、それは明治の頃、日蓮宗が長崎では大勢力であったことが確かであるからだ。後に天領となったが長崎は元々大村藩である。キリシタン大名として有名な大村純忠の子、喜前が藩主となり、日蓮宗に改宗してからは大村藩では日蓮宗が最大の教団となった。喜前は他の宗派も保護したなかなかの名君である。因みに、日本三大法華と言われているのが、七里法華(千葉)、備前法華(岡山)、大村法華である。大法華とは信徒が多いことを言う。又、遣欧四少年使節の一人、千々石ミゲル(肥前・島原の大名・有馬晴信と肥前・大村の大名・大村純忠の名代)の墓が発見され話題になったが、これも日蓮宗の墓であった。
==次の日本誤認は第二幕の蝶々さんのアリアの、芸者稼業の誤認であるが、全11の日本誤認改定で一番長い改定である。そしてこの改定は現行パリ版の改定であって、原作者プッチーニとその台本作者二人の手になる前のブレシャ版からそっくりそのまま取ったもの、つまり、原作者の昔の意向そのままを借用したものである。――続く。
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2008年02月19日

国際改訂版「マダマ バタフライ」顛末記―63

 オペラ「マダマ バタフライ」第一幕、蝶々さんとピンカートンの結婚式の日。蝶々さんにとっては親戚と芸者仲間を招いての、愛する人と正式に結ばれる晴れがましい日本式結婚式。ピンカートンにとっては一時妻・蝶々さんとの同棲許可を長崎警察から得るためだけに仲人ごろーにアレンジさせた手続き上必要なだけの挙式。この第一幕にはこのオペラの日本誤認が一番多い。全部で11箇所の台詞の誤認――言わずもがなのことだがプッチーニの作曲した音楽のことを言っているのではなく、歌手の歌う台詞の誤認ーーの中の8つが第一幕のものだ。それを列記する:
1)原作:蝶々さんの侍女すずきが、満面の笑みを浮かべて、新しい主人ピンカートンを迎える自分たち召使を見て嘲笑うピンカートンに歌う。「笑いこそは人生の花で陰謀や苦しみを解き放つ、と賢者オクナマは言った」
すずきと二人の召使を仲人ごろーがピンカートンに紹介するシーンであるが、勿論オクナマなどという賢人を日本人は知らない。実はこのオクナマのくだりだけはどうしてもイタリア語での改定でないと原語・イタリア語での改訂版は作成出来ないので、僕は、Disse il Savio Ocunamaという原作のイタリア語をDiciamo qui in Giappone と原語で直して日本でもイタリアでも上演する積りである。この原語での僕の日伊での改定上演をプッチーニフェステイヴァル財団も同意した。2004年の, 原語に邦訳を交えての、字幕なしの東京テイアラこうとう公演では、「旦那さまは笑われる、微笑みこそは人生の花で、苦しみや陰謀を遠ざけます」と邦訳し、すずきに歌わせた。この改定は多分、世界初の日本誤認改訂版である。海外ではもとより、この日本でも僕より先に誰かにより改定され上演されたことを僕は知らない。
2)原作:ピンカートンを女友達たちに紹介するとき、蝶々さんが「F・B ピンカートン、下に」と友人たちに言う。
下に、というのは、跪け、ということで原作のト書きに指定されている。跪く場所は戸外である。結婚式に参列するために晴れ着を着ている女性たちが戸外で跪くのは,如何に男尊女卑、そして外人崇拝の日本でもあり得ないから、ト書きの跪くという指定を削除し、お辞儀をするだけのことにした。
又、結婚式で官吏が読み上げる「ベンジャミン・フランクリン ピンカートン」という正式な名前から、当然その略は, B・F ピンカートンであるべきなのに、F・B ピンカートンと反対になっているのは、ブレシャ公演後のロンドン上演の際に、同じ英語国でも米国では使われてない、Bloody Fool=ド阿呆、という意味、になるのを避けるためだった。現在世界中で上演されているのは、ロンドンの次にパリで上演されたときに改定されたパリ版で、そのパリ版でもそのまま、反対になったままに残されてしまったこのF・Bは、日本人としては関係ないことだから、そのままにしておいた。
3)原作:蝶々さんが袂から仏像を取り出してピンカートンに「リ オットケ」(ほとけ様たち)と見せる。
日本女性が自分の持ち物を新夫に見せるのだが、イタリア語には「ほ」という発音はなく「お」になってしまうので、「ほとけ」が「おっとけ」になってしまった。「リ」はイタリア語の定冠詞である。わが国で仏像を袂に入れることは如何に廃仏毀釈、神道を国家宗教として仏教と厳正に分けた明治時代でもありえない誤認である。前夜に蝶々さんはキリスト教に改宗したが、だからといって、仏像を粗末に扱うと仮定しても、良家の娘であった蝶々さんにしては不自然である。第二幕冒頭における蝶々さんの仏経に対する不信があっても、親戚縁者一同に見える可能性のある所で、袂から仏像を出して新夫に見せるような態度は、日本人女性にしては不自然である。2004年の上演で僕は、すずきが机上に一個の仏像を置き、それを蝶々さんが「ほとけ様」と言ってピンカートンに見せる演出にした。原語上演でも「ほとけ様」を使用する。
4)原作:オマーラ地方の出のバタフライーー」と官吏が結婚式で読上げる。
これは単なる地名の誤認。2004年上演では「長崎県大村の出身・蝶々さん」とした。勿論、原語上演でもオマーラをオームラに訂正する。

5)原作:成婚のあと、親戚と友人一同が「おー、かーみ、おー、かーみ」と祝う。
「おー、神、おー、神」と唯一の神を崇め唱和するのは西欧の一神教の祝い方である。「めでたーや、めでたーや」と僕は歌わせた。原語上演でもこの日本語でのままで歌わせる。
6)原作:「蝶々さーん!蝶々さーん!」と蝶々さんの叔父・ぼんぞーが彼女にその改宗をなじる。
実の叔父が姪を、さんづけで面罵することは日本ではない。「蝶々よー!」とした。原語上演でも同じく「蝶々よ」を使う。
7)原作:「かみさるんだしこ」と叔父ぼんぞーはバラフライをなじる。
前述のようにイタリア語には「ひ」の発音はなく「し」になるので、このわけわからない呪いの言葉は「さるだひこのかみーー猿田彦の神」でしかない。猿田彦は神道の道祖神だから、仏門の僧侶ぼんぞーの呪いの言葉としては神仏混同で完全に不適当である。「天罰よ降りよ!」となおした。原語上演でもこれを使う。
8)原作:「イザギとイザナミ、サルンダシコと神」と侍女すずきが夕べの祈りを唱える。
イザギはいざなぎ、サルンダシコは前述のように猿田彦のことである。「と」は原イタリア語でe=英語のand=である。すずきは仏前で唱えるのだから神仏混同を再び犯している。幕政時代の日本は神仏混同であったが、明治政府は神道をもって国家宗教として、仏教と分けた。だから長崎において仏教の主導的な宗派・日蓮宗の祈りの言葉「なんみょうほうれんげきょう」を2004年上演では使った。原語上演でもそうするつもりである。
次回も「マダマ バタフライ」の日本誤認を書く。――続く。
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2008年02月12日

国際改訂版「マダマ バタフライ」顛末記―62

 プッチーニのオペラ「マダマ バタフライ」は、既に書いてきたとおり、ロテイの「お菊さん」――小説という体裁をとっているが、明治維新後最初の長崎/日本,体験記、ロングの「蝶々夫人」――小説、ベラスコの「蝶々夫人」――戯曲/芝居、の3つを下敷きとして、台本がルイージ・イッリカ、ジュセッペ・ジャコーザの二人の手によって書かれて1904年、2月17日にミラノのスカラ座で初演された。あと一週間後には104年の歳月が経ったことになる。その間、世界中の歌劇場でこのオペラは、日本を紹介し続け、上演され続けてきたのである。

 そしてオペラは、嘆願するばかりにして、プッチーニが、観劇したばかりの足でオペラ化の承諾をベラスコに得に舞台裏に行ったのにもかかわらず、ベラスコの芝居の構成、――ピンカートンが長崎に帰ってきてから、彼が米国人妻ケートを伴っていて裏切られたと知った蝶々さんが、自刃して果てる迄の24時間に凝縮されていた構成、――を踏襲はせず、ロテイの「お菊さん」に書かれていた外国人男性と日本人一時妻の同棲承諾を下書きにして、蝶々さんと海軍士官ピンカートンとの結婚式の日を描いた第一幕を書き加えた。
 既に書いたが、結婚式と言っても、それはロテイの「お菊さん」で報告されているように、本来は長崎警察署にピンカートンと蝶々さんが出向いて、書式に署名をして願い出て許可が出る一時同棲許可書の交付を、署員の方が、蝶々さんとピンカートンの新婚の家に出向いて、交付する式を結婚式と呼んだものである。それはまさに蝶々さんの気持ちを斟酌し、愛するピンカートンと日本式に親戚縁者一同を同席させて日本式結婚式をあげるという、彼女の気が済むように仲人・ごろーが、ピンカートンから請け負い、大枚の袖の下を使い、アレンジした式だと解釈するのが相応しい。ピンカートンにとっては、ごろーに建て替えさせた、丘の上の新婚の一軒家と共に、幼い半玉芸者・蝶々さんを手に入れる為には避けられない儀式と出費なのだ。当時、ドルの力は創造を絶して、当時の日本人にとっては大きかったに相違ない。――続く。
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2008年02月05日

国際改訂版「マダマ バタフライ」顛末記―61

 ベラスコの芝居「蝶々夫人」。プッチーニがオペラ「マダマ バタフライ」の下敷きとした戯曲。その画期的な14分間の照明変化だけで見せる沈黙の繋ぎの間。プッチーニはそこにハミングのユニゾン合唱とオーケストラの間奏曲を書いた。前半の合唱は別れを歌う古いイタリア民謡からとられ、後半のオーケストラの間奏曲は、夫の帰りをひたすら待つ蝶々さんと、夫がついに帰った後の彼女の喜びを想定したと思われる。そうだとしか考えられないほど、その曲想は鮮やかに前後で分かれている。舞台上の14分の沈黙とは、現在の観客にとっては、ほとんど永遠とも感じる長さである。作曲家なら誰でも音楽で埋めるだろうが、ベラスコは作曲は出来ないから照明に頼ったのではなく、照明をつかうことに自信があったから、音楽がなくとも14分の沈黙の舞台構成をしたのだ。実にリスキーだが、上手いことを考えたものだ。観客は長い沈黙を通して、ピンカートンの帰りを待ち続ける蝶々さんの心理と合体する。

問題は、ベラスコの時代から百年以上経ち、テレビ時代という全てが早く、そして頭を使わず、解りやすく説明的に見せるようになった現代、14分の沈黙の、想像を武器とする威力は、それだけでは発揮されず、何らかの手段を見出さないと、蝶々さんの待ち続ける心理と観客は合体できないだろう、ということだ。
 合唱と間奏曲を入れて音楽的に埋めたオペラ「マダマ バタフライ」の“沈黙の間”でも、音楽だけではなく、上手い照明で補強しないと、この近代の観客を満足させるという問題は解決されない。――続く。
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