2008年03月25日

国際改訂版「マダマ バタフライ」顛末記―68

 最初は卑俗ないやしさで描かれた大国アメリカの海軍士官・ピンカートン。対する幼い芸者・蝶々さんは世界に出たばかりの珍しい非文明国==と西欧の観客は見た==日本の文化を背負った、ひたすら愛するピンカートンを信じ、その帰りを待ち続ける、高貴な婦徳の持ち主。そういうセッテイングで最初は描かれたオペラ「マダマ バタフライ」の主人公、アメリカの男と日本の女。

 実はそこにもう一人、ピンカートンのアメリカ人妻、ケートという存在が、貧しい国の蝶々さんとは対象的な富んだアメリカの女性として、蝶々さんの悲劇を強めている。

 最後の幕、第三幕は早朝の長崎である。幼子、すずきと3人で障子の穴からピンカートンの帰宅を今か今かと、3年間も待っていた蝶々さんは、朝日が入ってきてもまだ帰らない夫を待って身じろぎもしないのだが、すずきが、幼子と一緒に奥でお休みなさい、お見えになったらすぐにお知らせしますから、と言い、眠り込んだ子を抱いて奥に引っ込んでいく。そこにシャープレスの後をおずおずとピンカートンが金髪の妻ケートを連れて入ってくる、

 すずきは蝶々さんが3年間、港に入る船を見張り続けてきたことと、ピンカートンの船を見つけて、昨夜は部屋中を花で飾り寝もやらずに待ち続けていたことを説明する。シャープレスは苦しみに耐えない様子でいるピンカートンを責め、そして説明する、「こんな早朝に来たのは、すずき、貴方の口から本当のことを蝶々さんに説明してほしいのです」。このシャープレスの頼みは、すずきの悲しみとピンカートンの後悔の歌が入り混じり3重唱となっている。この後で改定により挿入されたピンカートンのアリア「さらば花の隠れ家よ」が歌われ、ピンカートンの傲慢な性格はこれでいちじるしく弱まる。そしてピンカートンは卑怯にも蝶々さんと対面する勇気を持たず、その場を逃げ去る。
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> 蝶々さんが物音を聞いて、奥から出てきて、すずきの制止を振り切り、ピンカートンを探し回るが居ない。そして庭の隅にたたずむケートの姿を認め、全てを悟る。ケートは蝶々さんに子供を引き取ることを告げる。――しかしこの部分はブレシャ版では、自分から全てを奪い去ると悲嘆にくれる蝶々さんの歌に改定された。つまりピンカートンの妻としての権利を行使するケーとの強要ともとれる言葉は、蝶々さんの嘆きに変わった。これは推測に過ぎないが、外国人との間の子供には姓が与えられず迫害されたという当時の日本の事情をケートが知っていた、という伏線があるのかもしれないーー?いずれにせよ、オペラの中では述べられてはいないが、キリスト教徒として、貧しい日本で子供を育てるのより富む自国の父のもとで育てるのが博愛の教えに沿うとケーとが考えたのは間違いない。西欧の観客にとっては、このケートの振る舞いは慈善心に富んだものかもしれない。しかし、キリスト教徒ではない日本人にとっては、外人との間に出来た子は迫害されるという事実があっても、3年間もずずきと一緒に育ててきた子供を、一方的に蝶々さんから奪うという、甚だ残酷な申し出ではないだろうか!

 このように、ケート、というアメリカ女性の言動により、蝶々さんの悲劇は更に強められているのである!――続く。
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2008年03月18日

国際改訂版「マダマ バタフライ」顛末記―67

 文明の違う世界に出たばかりの貧しい後進国・日本の高貴な精神==蝶々さん。世界にその存在を示し始めた富める文明大国・アメリカの貧しい精神==ピンカートン。後者・ピンカートンのはなもちならぬ卑俗ぶりが強烈であればあるほど、前者・蝶々さんの一途に夫を慕ういじらしさは浮き立つ。それが作曲者プッチーニと二人の台本作者、ルイジ・イッリカとジュセッペ・ジャコーザの最初の意図で、1904年2月17日、ミラノ・スカラ座での初演はそうなっていた。

「日本の悲劇」と副題がつけられたオペラ「マダマ バタフライ」。この副題は、原作者が、それからオペラを創ったベラスコの戯曲にもつけられていたのだが、日本という極東の、世界の目にさらされ始めたばかりの珍しい国の一女性・蝶々さんが、新興の大国アメリカの男性ピンカートンを愛してしまって起こった悲劇という意味である。

プッチーニ達・三人の原作者は、珍しい日本の風物と習慣を、アメリカ海軍士官世で世界の港を巡り歩き, 多くの国の女性を経験したピンカートンに、散々こけにさせた。――幕が開いた途端に、彼らの眼からは折りたたみ式のような日本の木造の家を、999年の約束だが何時でも破ることの出来る契約でその家を手に入れたことを、頭を下げぱなしでお世辞笑いをする召使たちを、彼らに命じる砂糖漬けのクモとハエ、シロップの掛かった巣と消化に悪い酒など、日本のむかつく珍味を、結婚式に集まってきた蝶々さんの親戚縁者たちが滑稽なほど繰り返すお辞儀を、蝶々さんの酔っ払いの叔父・やくしでと彼が成婚を祝って歌う「ぬんきぬんこやま」という訳のわからない歌を、―――

これらの日本侮辱は、このオペラを観た日本人観客に嫌悪の情をもよおさせるに充分なものであった。
しかし、当時隆盛を誇ったオペラの常道として、男性の主役ピンカートンを歌うテナーは格好良くなければならない。そこで、ミラノ・スカラ座での初演が大失敗に終わったためもあり、ピンカートンの卑俗さは、ブレーシャ、ロンドン、パリと国と場所を変えて上演を重ね版を重ねるるごとに、原作者たちの当初の意図とは異なり、徐々に格好良く矯正されていった。ことわっておくが、勿論この矯正は日本や日本人の眼をおもんばかってのことではさらさらなく、西欧の観客、特に、ブレーシャでの再演の成功で、以後このオペラの販路がアメリカにまで広まっていったためであった。だから、日本人にしか解らない日本語での間違いや、神仏混同、習慣の間違いは、オペラのスコアー上に初演のまま残ってしまったのである。――続く。
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2008年03月11日

国際改訂版「マダマ バタフライ」顛末記―66

これまで述べてきたように、オペラ「マダマ バタフライ」の日本誤認、全11箇所のうち10箇所は、原語イタリア語での新しい改定はせず、原作者3人によるブレシャ版の転用が1箇所、そしてあとは全部日本の;固有名詞の誤り、神仏混同、日本を西欧と同じ一神教国だとの誤認などで、当然日本語で改定した。従って欧米人にとっては改定前も後もチンぷんカンぷんな日本語でである。しかし、たった一箇所、1)の「おくなま、という賢人が言った」というすずきの原イタリア語での歌詞だけはどうしても、同じく原イタリア語で変えねばならない。おくなまなどという賢人は日本にはいなかったし、いないのだ!

――ブレシャ版の総譜はプッチーニフェステイヴァル財団から借りて、僕は、1)の「Disse
il savio Ocunama」を「Diciamo qui in Giappone」に変えるというたった一つのイタリア語での創作改定をした。あとは西欧人聴衆にとっては理解することが難しい日本語による変更での改定と、ブレシャ版から原作者による日本誤認のない蝶々さんのアリアの歌詞を転用して、この日本においてさえも、誰も手をつけてはいなかった原語による日本誤認改定を終えたのである。日本語を理解しない聴衆にとっては、日本語で歌詞を変更しても、その変更とその理由は解らないが、日本人が聴けば原作の誤認が是正されたことはすぐに解る。

この日本誤認の改定は難しいことでは全く無い。まず誤認に気が付きさえすれば、そしてあとは僕程度の簡単なイタリア語の知識があれば、日本人音楽家なら誰にでも出来ることなのである。

勿論、プッチーニフェステイヴァル財団もこの改定での上演をすべて了承した。むべからぬことだが、彼らは原作に誤認があることは、僕に指摘されるまで全く気付いてはいなかったのだ。――続く。
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2008年03月04日

国際改訂版「マダマ バタフライ」顛末記―65

前々回2月19日記のブログから列記してきたオペラ「マダマ バタフライ」の日本誤認全11の最後を書く。
 11)原作パリ版――マーリ・マイヤスコウ著「イタリア・オペラを支える陰の主役ウバルド・ガルデイーニ」中矢一義・藤田茂・向井大策‐訳よりーー:蝶々さんの第二幕のアリア「お前の母がお前を腕に抱いて、雨が降っても風が吹いても、街に出て、衣食を稼ぐために、憐れむ人びとに震える手を差し伸べて、叫ばねばならないの。“聴いてください、わたしの悲しい物語を、不幸せな母親に慈悲をかけてください”と。――(彼女は立ち上がる。子供のほうは、座蒲団にすわって、人形と陽気に遊んでいる)――そして蝶々はーーああなんという運命でしょうーーあなたのために踊るのです。むかしのように、芸者として歌うのです。――(子供を抱き上げ、両手を持ち上げて。子供に哀願させる)そして、明るく陽気な歌もすすり泣きで終わることでしょう。――(シャープレスの前にがっくりとひざまずいて)――ああ、いや。絶対にいや。あの不名誉な生業にもどるのは。むしろ、死なせて、死なせてください。もう踊らなくてもいいように。むしろ命を縮めるほうがましです。ああ、死なせてください。――(子供のわきに崩れるようにして倒れ、子供をきつく抱き締め、激しく愛撫する)――。
      これはパリ公演のためにパリ・オペラコミックの支配人カレの要求に応じて、プッチーニがブレシャ版を変更したものである。変更は支配人カレが書いた。パリでの蝶々さん役はカレ夫人が歌うことになっていた。リコルデイ社主・父親のジューリオはこの改定に大反対だったが、息子のジューリオはカレと一緒に、いや、彼が既に契約していたアメリカでの百回の契約もあって、カレ以上にプッチーニに改定を迫り、プッチーニはパリに赴いて変更を承諾したのである。
台本担当のイッリカとジャコーザの二人のうち、詩文を主に担当したジャコーザはこの変更時の二ヶ月前に既にこの世を去っていた。「マノンレスコー」「ボエーム」「トスカ」「マダマ バタフライ」と続いた三人組みは終わったのである。そして、芸者という商売を、雨でも風でも、道端で踊り歌を歌って喜捨を受ける稼業だと誤認してしまったのである。
マイヤスコウの著によると、イッリカもジャコーザもプッチーニも、日本に深い関心を持っていたという。イッリカはマスカーニのオペラ、日本を舞台の「イリス」の台本を担当し、ジャコーザは日本の詩の熱心な愛読者であり、プッチーニは仏陀の教えに魅了されていたそうである。東洋の神秘主義の掲示について深く考えることが無かったら、敬虔なクリスチャンであったプッチーニは彼のオペラ「トスカ」「マダマ バタフライ」「トランドー」で主人公の自殺を書くことは無かった、とマイヤスコウは書く。――マイヤスコウは芸術の特派員として15年、ガルデイーニはオペラ・コーチとして20年の日本滞在経験を持つが、二人共に、そして、日本に関心が深かったという三人組も、僕が問題にしている「マダマ バタフライ」原作の日本誤認には全く触れてはいない。――
     だがブレシャ版では芸者の稼業誤認はしてはいなかった。蝶々さんは幼子を擁して領事に、興奮のあまりこう歌う。――同じ前記の著よりーー
     「「お前の母がお前を腕に抱いて、雨が降っても風が吹いても、街に出て、衣食を稼ぐために、憐れむ人びとに震える手を差し伸べて、叫ばねばならないの。==ここまではパリ版と同じ==“どうぞ、聴いてください、聴いてください、衣かがやく八百万=岡村註:イタリア語ではottocentomilaとなっているから八十万が正しい=の神々のもっとも美しい歌を”と。するとそこへ、勇敢なる武士たちの一隊が帝とともに通りかかるでしょう。その帝にわたしはこう言うの。“尊き支配者よ、どうか御足を止めて見てやってください、ーー(子供を見せて、撫でてやる)――あなたがやってこられた紺碧の空と同じように青い、この子の青い瞳を。ーー(子供のそばに座って、やさしい涙声で、続ける)――。――すると尊い帝は歩みをお止めくださって、かたじけなくも親切にーー(子供のほおに自分のほおを寄せながら)――きっと、あなたの帝の国のもっとも位の高い支配者にしてくださることでしょうーー(子供を胸に引き寄せ、うずくまり、激しく抱き締める)――」
要するに、興奮した蝶々さんが、わが子が王子になるという幻想的な想像をするブレシャ版をパリ版は変えてしまい、芸者は雨の日も風の日も街路で踊り歌い喜捨を請う、という、より現実的なことを扇情的に歌わせて、当時の世界一のオペラ消費地パリの聴衆に受けるようにしたのが、現行パリ版である。            
     プッチーニとその二人の台本作家たちの原作を尊重する意味から、改定はなるべく少なく、三人の意思の入った版のほうがいいのだから、ブレシャ版という三人の原作者の手になる、誤認のない原語アリアを使うのは新しく創るのよりいいに決まっている。だから僕はこの第二幕の蝶々さんのアリアだけはブレシャ版をそっくりそのまま使用することにした。――続く。
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