2008年04月30日

バリアーフリー

田中徹二さんは全盲。日本点字図書館・理事長で、このほどNHK放送文化賞を受賞した。俳優の渡哲也、藤村志穂などと一緒に、永年の盲人向け放送への貢献を表彰されたものである。その偉業を讃えて、一昨日、東京、ホテル・グランドヒル市谷で160名の人々が集まりパーテイが開かれた。僕は同点字図書館の理事の一人で、同図書館の為に資金を集めるチャリテイコンサートでアーテイストの選定などのお手伝いをしている。田中さんは早稲田の理工学部学生で図面を引いていたが、視力を失い文学部に入りなおした。僕は彼がまだかすかに視力を持っていた頃から知っている。

 全員着席の宴は1万円の会費でフルコースのフランス料理が供されたのだが、それは、目の不自由な方々にはビュフェースタイルは駄目なのだそうだからからで、このホテルが最もそういうパーテイに慣れているのだそうだ。新しい皿が目の前に供される毎に、サービスの人は丁寧に耳元で、料理の説明を一人ひとりにくどく繰り返す。晴眼者には必要ない説明である。例えばフィレステーキに付く温野菜類は一括して、柄がついていて取りやすい小分けの鉄製鍋に入り、同一皿の上に並ぶ。小皿でなく鉄鍋なのは柄が付けてあり取りやすく、万一落としても破損し怪我などしない為だろう。

 僕は田中さんたち盲界の人たちと付き合い、色々と勉強をした。田中さんという人がそうなのだろうと思ったら、実は盲人は皆、謙遜だった。そして、このホテルのように世間には、そういう人々の為に便宜を計らうすべを知っている人がいるのだ。聾界の人々にもこのホテルは対応するすべを知っているのかもしれない。駅のホームにも盲人向けに黄色い点線が引かれている。ファミリーレストランにも点字のメニューがある。缶ビールにも点字で印があり何々ビールであること、そして開け口が解るようになっている。

 本間一夫という人が日本点字図書館を盲人の為に私財を投げ打って開設した。僕たちがやっているチャリテイコンサートは本間一夫記念と銘打っていることで解るように、本間先生は盲界の先進的偉人である。そして本間先生が田中さんを後継者に指名した。本間先生、田中さんたちのお陰で世間にはバリアーフリーの思想が広まったのである!
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2008年04月23日

老人を敬え

オペラ「マダマ バタフライ」と「人情歌物語 松と秋」のことばかり前回まで書いて来た。話題を変えよう。―昔見た、頭に焼き付いて離れない光景がある。どこかで既に書いたたが、もう一書かしていただく。

 あれはNHKの収録スタジオ前の廊下だった。タレントらしき若者が仕事の合間に一服していた。近くの階段をご老人の一団がえっちらおっちら歩いていた。見学団らしい。若者は、汚らしいものを見た、とさも言いたげに仲間たちににうそぶいた。「ピップエレキバンの匂いがすらー!」             

 後期高齢者保険なるものが今月発足した。75歳以上の人の為の保険だという。何故74でも76でもなく75なのかは解らないが、老人は医療費がかかるから特別にしようというのが趣旨らしい。

年を取れば取るほど末広がりに医療費がかかるのは人間としえ当然である。病の種類も医者にかかる頻度も増え、若いときより遥かにかねがかかることを見越して保険制度を構築するのが為政者として当然の義務である。社会もこぞって、社会の功労者である老人を、弱者となってしまった老齢者を、生産年齢に達したらサポートせねばならない。いずれは誰もがこぞって間違いなく老人となる運命を背負っているのだ。負担など一銭もさせず、痴呆になろうと末期医療の対象となろうと、寄ってたかって、最善を尽くして人生の最後を最も楽に過ごさせるのが、成熟した社会のやるべきことである。

 今回、後期高齢者となった人たちは、物心ついたときには敗戦の重荷を背負って、焼け野が原にすきっ腹をかかえて放り出された。そして、営々と働いてこの国を経済大国にした功労者である。若者に感謝されて当然。馬鹿にされるいわれは毛頭ない!天に向け唾を吐き我が顔で受ける、NHKで見かけたような愚かな若者を育てた国だからこそ、老人の医療費負担を増やす計画を立てられるのだ!!
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2008年04月15日

国際改訂版「マダマ バタフライ」顛末記―71

一昨2006年12月10日に、国際改訂版「マダマ バタフライ」?末記を書き始めてから1年と3ヶ月を過ぎ、71回目を迎えた。「人情歌物語 松とお秋」のことも交え、日本を舞台として世界中で百年以上の上演され続けてきた傑作オペラ「マダマ バタフライ」の台詞が、日本の習慣や固有名詞の誤認、神仏混同などをしていることを繰り返し書いた。そして周五郎の原作から自分で脚色した、江戸社会の底辺に生きる薄幸の男女の物語を我国伝統和芸を武器として創った、一人で九役を演じる、これより安いのはない浪曲風モノオペラ「松とお秋」のことも書いてきた。

そして、世界初に僕が「マダマ バタフライ」の日本誤認を訂正し作成した版を、僕の演出でNPOみんなのオペラがプッチーニフェステイヴァルに招かれて、来年、待望の上演を果たすところまで漕ぎつけたことを書いてきた。

イタリア側からは指揮者と、ピンカートン、シャープレス、ケート、米人3役、それにオーデイション審査員3名の、出演料、航空費、滞在費などの全ての負担、プッチーニフェステイヴァルの公演会場/トーレ デル ラーゴ新湖畔野外劇場と東京でのオーデイション会場/イタリア文化会館、オーケストラ、照明、舞台などの全スタッフ、合唱団の無料提供。あとは全て日本側の負担、という条件で、今年10月末5日間のイタリア文化会館での公募国際オーデイションと、東京オーチャードホール4回(内2回は公開総練習)とトーレ デル ラーゴ4回の公演を予定してきた。

この合意書にサインするためには、我々は1億5000万円という資金を用意せねばならない!

昨年5月。プッチーニ・フェステイヴァル財団のニコライ理事長、モレッテイ総監督、アクアヴィーヴァ芸術秘書、ドナーテイ評議員(イタリア文化会館館長でもある)、それに日本側からは、愛知和男・衆議院議員(元・防衛庁/環境庁長官。NPOみんなのオペラ特別顧問)、鷲尾悦也・NPOみんなのオペラ理事長(元・連合会長)、博報堂より白川洋次郎・宣伝部長と大野由樹子・宣伝部員、それに小生というメンバーでイタリア側の招宴に招かれ、翌日、イタリア文化会館での、ニコライ、モレッテイ、白川、小生、による詰めの話で合意されたものである。上記メンバーに加え、読売新聞が名義主催で後援してくれる。この態勢を見て、イタリア側は、今年6月にオープンする湖畔新劇場などに大変な費用が必要である、という理由で、我々日本側に過分な負担を要求したのだと思う。仕方ない。彼らはオペラの宗主国で、プッチーニ・オペラの中心地なのだ。そこで世界初演公演をする名誉をとろう。それが我々の心境だった。

それからスポンサー探しが始まった。――オペラ歌手の僕は寝坊で朝は9時まで留守番電話にして寝ている。その電話をオープンにした。大金をお願いする相手は皆、大企業のトップである。向うの都合に合わせるため、いつ呼び出しがかかっても対応できるようにである。そして、愛知、鷲尾、博報堂、の皆様の指示に従い、このプロジェクトが日本の文化度を世界に示す絶好の機会であり、世界中で上演され続けている芸術の日本誤認訂正での上演の機会などは二度とはないことである、と力説して廻った。

どなたもなるほどと頷かれた。多くの文化人の方々がこのプロジェクト推進のために賛同の名前を貸してくれた。しかし金は最初思ったようには全く集まらなかった。とくに基幹となる大スポンサーがつかなかったのが痛かった。

金集めは大変だ。大義名分だけで金は集まらない。金を出すほうは必ず何らかのメリットを求める。特に、慣れない歌うたいには、毎日が新プログラムでリサイタルをやるような責め苦だった。金が集まらないことが次第に明らかになり、会議をやるたびにさしも影響力の或る皆さんの顔色が曇りを増してくると、食事もろくに喉に通らなかった!

そしてとうとう、押さえてある東京の公演会場オーチャードホールを手放さなければならない日が来た。ホール側のご好意がなければ1年ちょっと前のキャンセルはあり得なかった。モレッテイ監督だって我々の代わりの公演を手当てせねばならないのだ。涙を呑んで我々は延期を決意せざるをえなかった。それが先月3月末のことだった。

これはプロジェクトの崩壊ではない。延期である。モレッテイさんも大変残念がって、近い将来での公演を望む、とメールをしてきている。――顛末記はひとまず筆をおき、再起のおりに続編を続けることにする。
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2008年04月08日

国際改訂版「マダマ バタフライ」顛末記―70

不実なアメリカ海軍士官、ピンカートンに見も心も捧げてしまった、幼い芸者・蝶々さんの悲劇。それは自分の中の日本という文化が、夫の宗教の宗徒に自分もなろうと、結婚式前夜のキリスト教への俄か改宗や、ピンカートンの帰りを丘の上の一軒家で待つ間、アメリカ式の服装をつけること、などでは到底捨てきれない、ということを悟れなかった、無理からぬ蝶々さんの無知さに一番大きな原因があった。

長崎だけは古くから清とオランダに開かれていた。その長崎で異人や異国の船を観て育った蝶々さん。武家に生まれたが、父が帝に切腹を命じられてこの世を去り、没落した家を支えるために芸者稼業に身を落とし、仲間たちから異国の船乗りや、彼らの習慣などを聴いていたであろう蝶々さん。そしてごく短いが米人ピンカートンと新婚生活を送り、自分ではアメリカ人になったつもりの蝶々さん。

士農工商という階級制度。士族の中には天皇を頂点として、将軍、大名、老中、――という階級制度。家庭には親子、夫妻、という階級制度。老若、男尊女卑、先輩後輩という序列。それらは、敗戦と共に日本に入ってきた民主主義の万人平等の思想とは完全に反する日本序列思想である。

そしてその思想は、「義」という、宗教に変わる日本仲間社会のタガで、がんじがらめにからめられ、日本人の思想と行動を規制してきた。

蝶々さんは、ピンカートンと同じキリスト教に改宗して日本社会の義にそむき村八分にされ、心から愛し信じるピンカートンから義にそむかれ、ピンカートンの金髪妻ケートの主唱で幼子をとりあげられるという義に反する仕打ちを受け、父の遺言とおり義に従い自刃して果てた。

「マダマ バタフライ」、――副題「日本の悲劇」。この悲劇は、一時寄港で長崎のアヴァンチュールを楽しんだピンカートンの背負った西欧文化と、幼い蝶々さんに染み付いた、独特の日本文化の摩擦から起こったものである。――続く。
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2008年04月01日

国際改訂版「マダマ バタフライ」顛末記―69

南米、北米、アフリカ大陸、アジア、と白人社会が侵略と略奪政策を続けた15世紀末コロンブスの新大陸発見以後、その最後に辿り着いた異民族が、19世紀半ば、ペリー提督率いるアメリカ海軍による日本だった。そこで白人列強が得たものは、これまでのような黄金、綿花、胡椒、絹、コーヒー、阿片などの異郷産の物質ではなく、ジャポニズムという文化ショックを白人社会に引き起こした、これまで見たことの無い有色人種・日本の芸術だった。     徳川幕府による鎖国状態の仲間社会日本が、江戸という世界最大の人口を誇った大都市に、参勤交代という、藩体制監視制度で文化的にも中央集権を築き、結果として日本全体の文化向上に寄与した結果出来上がった独特の, 大衆の美術文化がジャポニズム
の原因である。近親社会におけるほど競走は激しい。白人社会は始めて、有色人種なのに文化的に異質だが自分たちより上のものを持っている日本に目を見張った。

しかし、そこ日本には宗教的信仰コンセンサスのない島国・仲間社会独特の「義」という宗教に替わる価値観の存在があることには気が付かなかった。義とは「義を見てせざるは勇なきなり」と言われてきているように、人間の行為のうちで、万人にとってよいとされるもの、と辞典に出ている。正義。義務。義理。忠義。大義。恩義。信義。など。――をもって人間社会を規制した日本封建社会の規範的な価値観である。

ジャポニズムにより白人社会の中で惹起された新興日本への大いなる興味を引き継いだのが、ロテイの初の日本体験記「お菊さん」であり、それを参照に書かれたのがロングの小説「蝶々夫人」であり、それからベラスコの芝居「蝶々夫人」が創られ、それをオペラにしたのがプッチーニの「マダマ バタフライ」である。これらの中で現在に至るまで世界中で上演され続け、最も大きな影響を与えてきたのがオペラ「マダマ バタフライ」であることは論を待たない。しかし彼ら作者たちは、ジャポニズムを起こした芸者、着物、はらきり、浮世絵、刀、仏像、など目に見えるものには気を取られたが、日本人の「義」に殉じる精神構造には全く気付いてはいない。

愛という、人間としての大儀をピンカートンに対して尽くしてきた蝶々さんが、彼がその大義を裏切り金髪のケート結婚し、あまつさえ、彼との間に出来た幼児まで取り上げられると知り、自分は人間としての大義を全うできないと悟ったとき、恩義ある父から諭された、名誉を守れないなら死をもって正義を守るべく自殺を選んだ。キリスト教が禁じている自殺、そして、芸者という、西欧人にとり身を売る醜業婦が示す女性美徳。それは白人社会ではあり得ないことなのである。――続く。
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