2008年08月30日

一発勝負

このところインスタントラーメンを食べる機会が続く。雷雨でここ山荘では買出しがついおっくうになってしまうからだ。−−その昔、リンツの歌劇場で合唱指揮者のアパートに同宿していた、駆け出しの頃。オーストリアやドイツ圏での常食であるソーセージを齧り、インスタントラーメンを啜って、食事をごまかしていた頃。およそ半世紀の昔、始めて歌劇場専属となった頃。合唱指揮者に一杯食べさせたら、腰を抜かさんばかりに驚いて、「アジアには美味いものがあるなー!!」「これは日本人の発明だぞ!」。日本から持参したどんぶりから箸で音を立てて麺とスープぷを啜る僕を、まざまざと眺めながら、熱湯を鍋に少し入れて、フォークで麺を掬って口に入れ、スプーンで汁を口に運んだ。「俺達にはそんな器用なーーと言ったかどうかは忘れたがーー食い方は出来ない!」。「これは俺達の特技さ!−−お湯の注ぎ方で味が変わるんだぜ。それじゃスープが濃すぎないかい?」「じゃ、湯を足すか」「それを、ぴったりと一発で自分好みの湯加減にするのが美味く食べるこつさ。オペラだって同じじゃないか。音が出たらそれで決まりだ。後で修正できる絵描きとは違うんだ。−−それにな、スープは啜ったほうがずーっと美味いぜ!」。僕はにやり、と彼にウインクしたものだった。
posted by opera-okamura at 19:43| Comment(0) | 日記

2008年08月20日

審判は皆クビだ!!

オリンピック日米野球。日米共に2勝2敗で、この試合に勝つと順決勝をキューバと戦える大事な試合。5回のアメリカの攻撃は3アウトで、日本の攻撃に変わるはずが変わらないで、4アウト!?!を狙い、打席に入った米打者に日本の田中投手は第1球を投じた。テレビの解説者は異議を唱える。「あれーtっと!誰も気がつかないのですかね?!?」−−アメリカ側は気がつかないフリをしたのか?−−フェアーでないねえー!田中は気がつかなかった??−−1球でも損して、ばかだねー!!
 今夜は勝ちます!と言っていた星野監督はどうした?!!!?1球田中に無駄ダマを投げさせて、抗議が遅すぎるねー!!何より、審判団よ、4人も居てよくも又、気がつかないとは、よくもオリンピックの審判が勤まるねー!!!皆クビだねー!!!!
posted by opera-okamura at 22:00| Comment(0) | 日記

2008年08月15日

バラの香り

 年に一度の同期会が一昨日、熱海で開かれた。早大29年卒のグリークラブの仲間が8名、皆妻同伴で後楽園ホテルに集まった。このホテルの元社長、岡君がメンバーの一人である。今年は彼が幹事だ。僕は商売だから当然だが、彼らは今でも男声合唱を続けている。だからかどうかは知らないが、後期高齢者たちにしてはーー嫌な言葉だーーかくしゃくたるものである。

 熱海を知り尽くした岡の案内で、僕は「お宮と寛一」しか知らなかった熱海の名所をつぎつぎと見ることができた。

 ニューアカオ・ローズとハーブガーデンは、春と秋がシーズンのバラを中心として、ローズマリーやミント、レモングラスなどなどのハーブに覆われ、馥郁たる香りが、東京ドームの15倍とかいう、海を見下ろす山の斜面を利用した花園に満ち満ちていた。ギリシャ扇形劇場風の屋外結婚式場もある。ローズハウスというバラの蜜をお茶やアイスクリームと楽しむ茶屋もある。戸外では咲き乱れる薔薇に蜜を求めて蜂が寄ってくる。 蜂は蜜を感じて花弁に集まるのです、と案内人が教えてくれる。

 ではあの美しい花びらは、蜂にとっては必要ではないではないか。蜂は花弁の種を別の期に運んで交配を媒介する役を担っているが、それは意識的にではなく、万物の生命が枯れないように司る、天の配剤の結果として無意識におこなっているのだろう。しかし、美しい薔薇は人間の感性に訴えて我々を喜ばせてくれる。じゃ、蜂にも人間と同じく美を感じる感覚はあるのだろうか?――知っている方は教えてください!――。

 生命の起源はたった一つの細胞だったそうな。だとすると、昆虫だろうと、爬虫類だろうと、哺乳類だろうと、ひとしく、生きとし生きるものは、美しいものに集まる本能をもっているのかも知れない。だとすると、美しいものを鑑賞しない人間は、生き物の生き方に反しているのではないか!

 先進国といわれているこの日本で、音楽会にも、展覧会にも、美術館にも、一度も足を運ばないで、―――運べないのではない―――、一生を終わる人がいることを僕は思いだして、案内の人が教えてくれたように、咲き競う幾種類ものバラの花びらに鼻を当てて、微妙な香りの違いを楽しんだのである。
posted by opera-okamura at 11:00| Comment(0) | 日記

2008年08月13日

勝負のない芸術

素晴らしかったチャン・イーモー演出の北京オィンピック開会式。えらく長かったが、それは史上最多の参加選手の入場行進のせい。選手が入ってくるまでは次から次へと繰り出される中国歴史絵巻の上の芸術的スペクタクルに目を奪われていた。−−開幕してからは、連日の日本選手陣の健闘に拍手を送りつつテレビ画面を見続ける目は眠りを感じない。試合の間をつなぐ視聴者からのFaxに「スポーツは勝負だけが問題ではない、ということがつくづくと解りました」というのがあった。そうだ。憂き目を味わってきた北島だからこそ、金メダルが決まった直後のインタビューに対し、感無量でしばし言葉が出なかった。彼がもしも、これまで全て勝ち続けていたとしたら、あのしばしの無言の感動はなかっただろう。更に言えば、もしも彼が、今回一つのメダルも取れずに、見事に同胞の期待を裏切ったとしたら、惨い言い方だが、遥かに大きな感無量を北島は味わったかもしれないのだ。スポーツは勝負だけが重用ではない。だが、勝負にこだわってプレイすることによってのみ感動は味わえるのだ。芸術に勝負はない。ないからこそ芸術なのだ。ーーだが、順位がつかないことに隠れて、中身のない芸術が、大きな顔をするのも事実だ。
芸術に勝負はない。ないからこそ芸術なのだ。ーーだが、順位がつかないことに隠れて、中身のない芸術が、大きな顔をするのも事実だ。
posted by opera-okamura at 03:10| Comment(0) | 日記

2008年08月06日

夜は怖かった

gute nacht=独、buona notte=伊、good night=英 buon soir=仏 例えばシューベルトの歌曲集「冬の旅」の第一曲はGute Nachtで日本語では「お休み」と訳されているが、gute=良い nacht=夜、つまり直訳すると、良い夜をお祈りします、という意味なのだ。叱り。シューベルトがこの世を去ったのが1828年で、かろうじて夜に大都会ではガス灯が出現した頃。夜は今と比べて遥かに遥かに暗かったのだ。実は昨夜、此処、山中湖は停電した。かろうじて探し当てた蝋燭を取り出してつけたが、全ては殆ど手探り。電気の無い夜は怖い。シューベルトの頃は、彼の生きたオーストリアでも、イタリアでも英国でもフランスでも、他人社会の人たちは、強盗や夜盗のたぐいに襲われはしないか、気が気でなくて、良い夜をお互いに祈りあったのだ。だから時代を考えると、「冬の旅」第一曲の訳は「お休み」ではなくて、「良い夜を」になる。恋人は金持ちと結婚し、失意のどん底の若者はその恋人に、金持ちの男に身を任せる良い夜を、とシニカルに恋人の家の戸口の雪に書き残して、あてどもなく町を出ようとする。
posted by opera-okamura at 10:07| Comment(0) | 日記