2009年01月27日

オーストラリア船上クルーズ

明28日夜、成田からカンタス航空で西オーストラリア州の首都、パースに家内と一緒に飛び、そこで横浜から航海してきたぱしふぃっくびーなす号に乗船する。そして2月2日に講演会をやり、アデレード、メルボルン、タスマニア島のホバート、貝殻形のオペラハウスで有名なシドニーを周り、ここから乗船するピアニストの松川儒君の伴奏でリサイタル「世界を巡る歌の旅」を歌い、グレートバリアーリーフのハミルトン島を通り北マリアナ諸島のケアンズを過ぎで今度は「日本の歌」のリサイタル。そしてサイパンを通って2月28日に横浜港に帰着するまで約1ヶ月間、クルーズの旅をする。家内は家事からと寒い日本から解放され、真夏のオーストラリアを巡る天国生活。僕は仕事の合間に船旅を楽しみつつ原稿を書く。果たして船上でこのブロッグを続けられるインターネット環境にあるのや否や?
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2009年01月20日

菩提樹を一晩で覚えた子供達

NHK総合テレビで、来る2月15日(日)13:05時より放映される「課外授業、ようこそ先輩」。僕は65歳後輩の小学校6年生達に、一晩でシューベルトの「冬の旅」の「菩提樹」を暗譜させるという、法外な課題を課した。ドイツ語のドの字も知らない、「冬の旅」はおろか、「菩提樹」も聴いたことのない子供達40名に対してである。「うえー!!、」一斉に驚きとも抗議ともつかないどよめき!「この授業が終わったら今夜は皆何をやるの?」「塾へ行きます」大半の子供が答えた。「それから?」「10時になるから寝ます」「じゃ、菩提樹を憶える暇はないじゃないか!」「寝ないで覚えます」何人かが答えた。「塾に行くのを止めます」他の何人かが諦めたように言う。「君たちのためになるから!僕を信じて覚えてくれないか!」「約束は出来ません。ーーでもやってみますーー」。僕は後悔した。これは先輩のごり押しだ。テレビの力を利用していたけない子供達に僕の考えを押しつけた!==翌朝08:30時、ピッタリに子供達は音楽室に集まった。「最初に歌うのは誰?」「暗譜は無理です」全員が言った。「でも楽譜を見るならーー」「よし、見ても良いからーー、誰が最初に歌う?」眼鏡を掛けた小さな女の子が、おずおずと一番に手を挙げた」「Am Brunnen vor dem Tore−−」ピアノの前に出てきたその子は、間違わずに歌い終えた。それから全員が次々と出てきて歌った。間違っても、声は出なくても、歌った。==「冬の旅」と50年もつきあってきて、まだまだ到達点が見えない僕は頭を下げた。「Brunnenは水飲み場のことだよ。とぼとぼと一人で冬の旅をする主人公の若者は、町の門の前の旅人用の水飲み場の傍に立っている、自分と同じように町に入れて貰えない菩提樹の葉のざわめきが、ここにおいで友よ、ここにこそお前の心の安らぎがあるのだよ、と呼びかけているのを心に繰り返しながら、自分を棄てて金持ちと結婚してしまった乙女への恋心を捨て去ろうと旅をするのだ」。僕の説明に一生懸命聴き入る子供達の純粋な顔をみながら、日本の将来は棄てたものじゃない!と頭を下げる。
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2009年01月13日

牟田悌三、逝く

牟田悌三さんが亡くなった!彼がテレビドラマで活躍していた頃、僕はずーっとヨーロッパで売っていたから、彼の名声は知らない。だから、いきなり牟田悌三なる有名な役者が我が家にやって来て、ロータリークラブに入ってくれと言ってきたときにはめんくらった。ーーだいたい、ロータリーなるものを知らなかったから、彼の巧みな勧誘に乗せられて入会した、というわけだった。以来、もう30年ほどにもなる。ご一緒に酒も飲んだ。彼のチャイルドラインに対する献身的なヴォランテイアー振りには頭が下がったものだった。心からご冥福を祈る!
posted by opera-okamura at 20:32| Comment(0) | 日記

2009年01月06日

ヴェローナ公演の海賊版

「おじちゃま、ネットに1969年のヴェローナ音楽祭での「ドン カルロ」の録音がありました。ドミンゴのヨーロッパデビューでしょう? ドミンゴとおじちゃまの歌が入ってます。Keyakiという人のブロッグの中ですが、この人はライモンデイのフアンのようです」ーーこれをメールしてきた僕の姪は、僕にパソコンの手ほどきをした子。彼女の指示に従ってKeyakiという人のメールを開けると、間違いなく、ドン・カルロを歌うドミンゴの登場に続き、修道僧/カルロ5世を歌う僕の声が入っていた。「実はあの公演の海賊版がどっくに、堂々と売られていて、持っているよ。これもその海賊版からとったのではないかな?」僕はメールを姪に返した。「同じブロッグの中に、ドミンゴはあの公演の前にウイーンとハンブルグで歌っているから、あれがヨーロッパデビューではないというのは知らなかった。そして同じく、僕がフィリッポ2世を歌ったのはキールだったと、僕の著書「ひげのオタマジャクシ世界を泳ぐ」に書いてあったとあるけど、キールではなくケルンだったのだよ」。−−伝聞というのは間違いが多い!
posted by opera-okamura at 12:30| Comment(0) | 日記