2009年12月31日

日本人は自国の過ちを平気でほっておく国民?!!

長崎を舞台とし、日本を世界に紹介すること万人の外交官に勝ったといわれるオペラ「マダマ バタフライ」−蝶々夫人、の最初の部分。蝶々さんが仲間の芸者や母・叔母たちを連れて、これから結婚式を挙げる夫・アメリカ海軍士官、ベンジャミン・フランクリン・ピンカートンを紹介し、新婚の家についた場面。「さ、着きました。B・F ピンカートンです。下に」と仲間たちに促す。B・Fはベンジャミン・フランクリンの頭文字である。ところが、このオペラがロンドンで上演されるときには、蝶々さんは「ーーF・B ピンカートンです。下に」、と、BとFの位置が逆になった。何故か!
 ==このオペラはロングという作家が書いた原作を、ベラスコという劇作家/演出家が芝居にし、アメリカでよく読まれ、そして、成功裡に上演された。二人共にアメリカ人である。ベラスコの芝居からオペラにしたのがイタリア人・プッチーニ。オペラ「マダマ バタフライ」の初演はミラノのスカラ座で、オペラ史上に残る大騒動のうちに終わり、雪辱を期したプッチーニは僅か数ヵ月後に、イタリアのブレッシャで、相当手を加えて再演し、今度は大成功。そしてロンドン、パリへと更に手を加えられて進撃し、これまで、かなりの日本の間違いをその中で犯したまま現在まで、パリで使われた版のまま世界中で上演され続けてきた。アメリカではB・Fとピンカートンの正確な名を言うのはなんら問題はなかったが、ロンドンに行くと、英国人たちが常用する「Bloody Foolーード阿呆」という意味になってしまい、蝶々さんが紹介する語としては甚だ不適当になってしまう。そこでプッチーニと二人の台本作者、それに多分、このオペラの出版権と興行権を持つリコルデイ社の社長も入った原作者たちは、すぐ後に出てくる蝶々さんとピンカートンの結婚式の中で、ピンカートンの名前がベンジャミン・フランクリンと読上げられるにもかかわらず、矛盾した、F・B ピンカートン、に変更したのである。B・F (ド阿呆)ピンカートン、のままでは英国人がおさまらないからだ。(ピンカートンは実はB・F/ド阿呆のままなのが相応しい男なのだが!)
 本日、大晦日に敢てこの事実を書くのは、僕がこのパリ版の日本誤認歌詞とト書きを世界初に改定して2011年8月にプッチーニフェステイヴァル財団と共催で、イタリアのプッチーニオペラの中心地、プッチーニフェステイヴァルで上演するからである。その誤認歌詞には、蝶々さんの出身地を「おまーら/大村の間違い」と言ったり、前述のように芸者たちを「下に」と野外でひざまづかせたり、するような簡単な誤りを含め、神仏混同、習慣の間違い、など、レッド、イエロー、など軽重いろいろ10以上の間違いがあるのだ。それに対して、この島国の同胞たちの中には、もう百年以上も続けられてきたのだから直す必要はない、とか、その程度のことなら目くじらをたてることはないさ、とか、明治のその昔に手を尽くして正しい日本を描こうとしたプッチーニと2人の台本作家たち原作者が目を廻すようなことを考えもなしに言う人達がいるのだ。どんな小さなことでも間違いはまちがい!他国人に対する礼儀として直すのが当たり前なのが多国家がひしjめくヨーロッパの常識なのだ。日本人は自国の過ちを平気でほったらかす国民だと思われてもいいのか!!
posted by opera-okamura at 12:26| Comment(0) | 日記

2009年12月24日

5千万円の頭痛のたね

週一回のペースで書いてきたこのブロッグもこの項で今年最後になりました。小生が見ただけでも幾つかのホームページに転載され、インターネットの威力を実感させられています。今年は最後になって「マダマ バタフライ」新国際版・世界初演を、プッチーニフェステイヴァル財団と契約を交わしたことが一番のニュースでした。「正しいバタフライ」シンポジウムの後に向うのシモーニ理事長とモレッテイ総監督、こっちがNPOみんなのオペラ・鷲尾理事長と芸術総監督の小生が、イタリア文化会館の図書室で、テレビカメラの前で延々と経費負担額の交渉をおこない、やっと妥結しましたが、当方は5千万円の負担をどうしてもせねばなりません。芸術上のことだけをやっていれればいいのですが、常に絡むのは金の問題。誠にま誠に頭痛の種がまだまだ続きます。1億5千万の経費の目途がつかなくなって延期してから2年、モレッテイ総監督からこの話しを持ちかけられてから5年、原作・リコルデイ/パリ版の日本誤認歌詞とト書き改定をはじめてから7年、ローマ留学時代、原作の誤認に気付き改定を志してから何と50年の月日が経って
ます。ーー大小道具、衣裳・履物・かつら、24名のスタッフ・キャスト、日本からイタリア、トッレ デル ラーゴに運び、2週間滞在して向うの合唱団、ソリスト達と一緒に稽古をし、3回の公演をこなすのですから、どうしてもそのくらいはかかるのです!−−お金の話しは新年早々からは避けたいのですが、どうしてもお聴きになりたいのなら、1月10日の「新春の集い」の質疑応答でお答えします。バタフライの公演会場は斜塔で有名なピサとフィレンツエの中間、共に車で1時間かからない距離の、湖畔野外歌劇場(3200席)でプッチーニがバタフライ等を作曲した別荘のあった所です。そんなお話しもさせていただきます。−−皆さん、今夜はクリスマス・イヴ。どうかお元気で、楽しいクリスマスを、お正月をお迎えになり、来年もこのコラムをご愛読ください。
posted by opera-okamura at 13:19| Comment(0) | 日記

2009年12月17日

外交姿勢

わが国は古来から、外国を兄貴分とし、その国を見習ってきた。明治維新までの中国。維新直後から第一次世界大戦までと、第一次世界後から第二次世界大戦勃発まで英仏独などのヨーロッパ。そして第二次世界大戦後のアメリカ。当事国となった二つの世界大戦中、戦をしていた間だけはそういう意識は無かった。ーーそして今この頃、民主党政権になって、アメリカべったりの姿勢は変わってきた感がある。沖縄の基地問題、そしてその問題解決の今のさなか、中国への民主党議員中心の大訪問団派遣。それはアメリカと中国を天秤にかけ、世界に、日本は他国に手を差し伸べてもらわなくてもすむ国になったのだ、というメッセージを発しているかのようである。どの国とも対等に等間隔の外交をするのが理想の姿だが、北朝鮮などの脅威がある以上、日本の安全保障上、それでいいのかどうかが問題だ。民主党政権は国民に、世界の趨勢を解りやすく説明してから、意見を広く求めてはどうだろうか。民意より強いものは現在ないのだから。
posted by opera-okamura at 14:06| Comment(0) | 日記

2009年12月09日

ヒットラーも偉大な音楽家には従った

ヒットラーと第3ドイツ帝国は、彼と数時間前に結婚式をあげたばかりのエヴァ・ブラウンの自殺、そして、その遺体の焼却により崩壊した。最後までナチスの番頭として残ったゲッペルス宣伝相は、ヒットラーをドイツ民族の英雄として最後を迎えさせる為に、ベルリンフィル最後のコンサートでワーグナーの「ニーベルンゲンの指輪」の最終編「神々の黄昏」の最終場面への間奏曲「シークフリートの葬送行進曲」が演奏されていたことに鑑み、ブラウンと計り、ヒットラーに自決を迫った。ドイツ民族の英雄シークフリートの遺骸を焼く炎の中に、妻ブリュンヒルデが飛び込み、炎と洪水により旧世界が滅び、新世界の始まりが予兆されるのがこの音楽。ヒットラーはシークフリートである、というわけだ。ーーヒットラーはリヒアルト・ワーグナーを神格化しその思想を敬い、従って、「第3のリヒアルト」=第1はワーグナー自身。あまりにも恐れ多いので第2はなく、第3がリヒアルト・シュトラウスといわれた=には問題なく従った。まだ浮く浪人時代、ヒットラーはシュトラウスの「サロメ」を聴くためにウイーンからグラーツまでの遠路を歩いて聴きに行ったほどである。R・
シュトラウスがナチス政権下で音楽局総裁をつとめ、ユダヤ人を息子が妻に娶り、更に、ユダヤ人作家ツヴァイクの台本、ユダヤ人スタッフで固まったオペラ「無口な女」上演を許し、ゲッペルスと共にその初演に列席することまで約束したのも、つまりはワーグナーに敬意を表したからである。アーリア人至上主義に固まり、同じ人間同士のユダヤ人を抹殺した鬼畜にも劣るヒットラーも、偉大と感じる音楽家には従ったのだった。
posted by opera-okamura at 20:33| Comment(0) | 日記