2012年03月25日

想い出のネルソンミサー2 =3月25日 記

あの日は晴れだっおた。我々ケルン組はテルアビブ近郊のヘルツリア海岸のリゾートホテルのプールサイドに寝そべっていた。イシュトヴァン・ケルテス(指揮。ケルンの音楽総監督。ユダヤ系)、ルチア・ポてップ(ソプラノ。ユダヤ系)、イルゼ・グラマツキイ(メゾ。ドイツ人)そしてバスの僕、の4名である。それまでの4回のネルソンミサの大成功に4名はみな上機嫌。イスラエルの誇るイスラエルフィルの定期の中でも傑出した出来だ、とおだてられ、イスラエルフィルに客演するアーテイスト達の為のテルアビブ市内のゲストハウスから地中海の海岸に出てきたのである。−−どんな一流ホテルも及ばない音楽家向きの宿泊施設がこのゲストハウス。世界中からのユダヤ系を主とした演奏家の為に、ヘブライ語以外に��!
�独仏伊をネイテイヴの発音で話す中年の女性が執事で、数名のボーイ、コックが数室しかない泊り客のためにたえず控えている。各室の冷蔵庫内は取り放題ですぐに補充される。ケルテスの泊まる指揮者の部屋はユダヤ人が誇る大ピアニスト、ルビンシュタインの間と名前がつけられ、小編成のオーケストラ用の練習室とシュタインウエイのフルコンサートピアノが置かれ、廊下には、アントン・ドラーテイが寄贈した純金の縁に飾られたブラームスの、世界に一枚しか存在しない原写真がけいけいとまなこを光らす。ーーというこの上無い待遇だった。ーー次号に続く。
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2012年03月20日

想い出のネルソンミサ=3月20日 記

 ユダヤ人が誇るイスラエルフィルの本拠地は、マン・オーデイトリウムという2715席のコンサートホールでテルアヴィヴにある。
今を去る40年の昔。ハイドン作曲のネルソンミサ曲が、世界の楽壇に彗星のごとく登場したイシュトヴァン・ケルテス指揮の定
期公演に登場。ケルテスに率いられたドイツ・ケルン歌劇場の独唱者3名と現地のテナー、イスラエルフィル合唱団により演奏さ
れた。 ソプラノが当時をときめかしたルチア・ポップ。メゾがイルゼ・グラマツキーで二人共に金髪の美女。テナーはユダヤ人、
ミシャ・ライツイン、バスが僕である。ケルテスもそうだが、グラマツキーと僕以外は皆ユダヤの血をひいている。
 我々のイスラエルフィルとの契約は12回で、始めの4回と最後の数回がマン・オーデイトリウム、あとはイエルサレム、ハイファ
などの国内都市での公演だった。
 あのネルソンミサは大成功だった。少なくともケルテスの棒の下での4回は。そして我々ケルン組はテルアヴィヴ近郊のホテル
での休暇を、中東の陽光の下でのんびりととっていた時に、あの忘れられない悪夢が襲ってきたのだった。ーー次号に続く。
 
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2012年03月12日

あのCDが出た!=3月12日 記

 40年前。テルアビブのマン・オーデイトリウム。ここで僕はイシュトヴァン・ケルテス指揮でハイドンのネルソンミサを、ケルン歌劇場の同僚ルチア・ポップ、イルゼ・グラマツキーと歌った。その超満員の聴衆の興奮をも録音したCDが発売になった!Mail:webmaster@wakuwakudo.net そしてその次の日。ケルテスと僕は近郊ヘルツリアの海岸で泳ぎ、彼は溺死したのだ!
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2012年03月05日

先をこされなくてよかった!=3月5日 記

 11ヶ所の日本を誤認している歌詞が原作台本(パリ版)に存在することを僕は発見し、日本人として絶対に訂正する必要を感じ、昨年8月のイタリア
公演でそのうちの2箇所を訂正した。長崎を舞台としたプッチーニ作曲のオペラ「マダマ バタフライ」のことである。公演はプッチーニフェステイヴァル財団
との共催で、日本側は僕が芸術総監督を務めるNPOみんなのオペラ。財団の総監督と僕が審査して東京のイタリア文化会館でのオーデイションで選んだ
蝶々さん、すずき、ごろー、芸者9名、そして、舞台、和風衣裳はみな日本から持ち込んでの上演。訂正は2箇所だけしかできなかったのに、いたりあでの
評判は、初めて正しいオペラ蝶々夫人が上演された、と、大新聞ラ・プブリカをはじめ全ての批評が大賛辞を呈し、財団は僕に、演出家としてはウデイ
アーレンに次いで二人目のプッチーニ賞をくれた。日本人の目に映るバタフライ上演の視覚的な非日本的ないい加減さは、向こうの人々もうすうす感ずい
ていたのだろう。
 今夏はプッチーニフェステイヴァル財団の招聘で7・8月に4回再演をすることになっている。著作権継承者、プッチーニの孫娘のシモネッタさんが首を縦
に振らない限り、あと9か所の訂正は不可能なので、日本人にとり、例えば、蝶々さんの叔父の僧侶が「カミサルンダシーコ」−−猿田彦の神のことらしい
ーーと実の姪・蝶々を「蝶々さーん!」とさん付けで面罵するなどが、如何に不当であるかをもういちど理を尽くして説明する積りである。
 それにしても、韓国、台湾など日本語を理解する外国の人々に先に改訂されてしまわなくてよかった!財団事務所で打ち合わせをやっているとき、何度
か韓国の人とすれ違ったことがある。ーー間違いは誰が糺してもかまわない。ーーしかし、それが日本人としての偽らない思いである!!
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2012年03月01日

震災の壁新聞=3月1日 記

ラジオのスイッチを入れると村野キャスターらしい声。石巻のきび新聞というたった6人という地方紙の報道部長の大震災を振り返った話に聞き入った。ラジオ深夜便、
聴覚にだけに神経を集中させ、朝の04:05という人々の寝静まった中で、想像力を逞しくさせるひととき。最も良い話を聴ける番組である。他に全く情報の無い震災
直後の手書きの壁新聞が如何に被災者の頼りになったことか!ピューリッツアー賞ものの大新聞の記事には出来ないことをやった地方紙に心からエールを送る。
posted by opera-okamura at 12:33| Comment(0) | 日記