2011年09月11日

蝶々さーん

 「これをシモネッタさんに差し上げて!」モレッテイ夫人が僕に花束を渡す。????プッチーニフェスチヴァル財団・モレッテイ総監督夫妻、同財団評議員ドナーテイ・イタリア文化会館東京館長、二宮咲子/蝶々さん、末広貴美子/すずき、高橋淳/ごろー、衣裳/千地泰宏、美術/川口直次、そして演出の小生、は定刻ピッタリにプッチーニ記念館のベルを押した。テレビカメラは館外に留まる。取材禁止である。巨匠プッチーニの孫娘、シモネッタ・プッチーニさんは事務員に命じて、狭い庭に人数分の椅子を並べさせた。
 ーー記念館にはプッチーニの墓があり、通常の民間の館だが巨匠のピアノ、楽譜、写真、狩猟の武器、などが所狭しと展示されている。シモネッタおばあちゃんもそこに住んでいる。そこはプッチーニがこよなく愛した湖畔の別荘。ここでボエーム、トスカ、バタフライ等の傑作が殆ど創作された。歩いて5分ほどの所に3200席の湖畔野外劇場が聳えている。毎夏、プッチーニのオペラがここで上演される。今年は第57回のプッチーニフェステイヴァルで、ボエーム、トーランドーが昨シーズンに引き継いで公演され、僕が監督する「マダマ バタフライ」が新作。日本から28名のキャスト・スタッフを連れて、ここイタリアはトスカーナ、斜塔のピサの近くのトッレ・デル・ラーゴに、日本誤認の原作台本の歌詞を訂正し、輸入ばかり繰り返している日本オペラを、長崎を舞台とした「マダマ バタフライ」で作曲家の中心地に輸出しようとしている。
 「お時間を戴き恐縮です」僕は丁寧にイタリア語で喋り、おばあちゃんに花束を手渡した。「お待ちしておりました、さ、どうぞ」彼女は少し腰が曲がってはいるが、まだ矍鑠とした物腰で我々皆を迎え入れた。「蝶々さんの芸者商売誤認の第二幕の現行版のアリアの替わりに、ブレーシャ版の、誤認のない同じアリアを使うことに賛同していただき有難うございます」。モレッテイ監督が切り出した。おばあちゃんは優しく頷いた。世界中で歌われている現行版では、芸者は雨の日も風の日も路傍に出て、踊り歌って、道行く人に喜捨を乞う商売、となっている。ブレーシャ版はプッチーニと、イッリカ、ジャコーザの二人の台本作家という同じ原作者による版である。「そして蝶々さんの出身地が、大村を間違ってオマーラとなっているのも」モレッテイは続ける。おばあちゃんは頷く。「では、????ぼんぞーの、蝶々ーよ、もよろしいですか?」おばあちゃんの態度が変わった。「どうして上演の5日前になって言うの!」
 ぼんぞー、は仏教の僧侶で蝶々さんの実の叔父である。彼は、蝶々さんが米国海軍士官ピンカートンと結婚する前夜に、一人で密かにキリスト教に改宗した。ピンカートンに喜ばれようという儚い日本の女心である。それをぼんぞーは垣間見てしまったので、まだ結婚式の匂いが消えぬときに怒鳴り込んできた。その時に「蝶々さーん!」と怒鳴るのだ。実は全部で11か所ある日本誤認歌詞の中で、2箇所を出しご機嫌を損ね、両方共にダメになることを恐れたモレッテイの意見を入れて、「蝶々よー」だけを出すことにしていたのである。
 「今この時点でのお返事は控えましょう。これからはもっと早く出してください!時間は十分にあったはずです」。著作権継承者の厳然とした命令である。3人の原作者たちのなかで最も長生きだったのはプッチーニで、1924年にブラッセルで喉頭癌で世を去った。だから70年経った1994年に著作権保護期間は終了しているが、権利を持っている人のOKを得なければ改訂は出来ない。強行すれば法廷に出なければならないことになる。「ダンテの神曲の改訂をしてはならないのと同じです!」おばあちゃんは続けた。頑固なその態度に僕は、不思議なことに、共感を覚えた。俺だって彼女の立場になれば、同じことを言っただろうな!ーーそれでなければあらゆる芸術作品は更改される危険にさらされる!! ????約一時間。僕らは学生のようにシモネッタ先生の前で正座しつくした。
 そして翌夜。「マダマ バタフライ」のAssieme稽古????総練習/GPの前の衣裳をつけない通し稽古ーーの最中で、モレッテイからの電話を僕の助手が耳打ちした。「蝶々さーん、として欲しい、変更はダメだとのシモネッタおばあちゃんからのお伝えだそうです!}。そして間髪をいれずにぼんぞーが登場。彼は既にそれを知っていたらしく「蝶々さーん」と居丈高に怒鳴った。ぼんぞー役は、最初は中国人が練習にでていたが降ろされ韓国人が替わってなっていた。心なしかその声は、日本人の僕に対して勝ちほこっているように聞こえた。
posted by opera-okamura at 14:15| Comment(0) | 日記
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