2011年09月19日

シモネッタ・プッチーニ

 第一幕が終わった。−−オペラ「マダマ バタフライ」の主人公、蝶々さんの実の叔父、仏教の僧侶ぼんぞーは、昨夜、一人密かにキリスト教に回収した姪・蝶々を、蝶々さーんと、さん付けで怒鳴り、「かみさるんだし−こ」と訳の解らない日本語らしき言葉で面罵し、日本人社会から離別して、立ち去っていく。そして続くは、有名なピンカートンと蝶々さんの20分あまりも陶酔の旋律を歌いあう愛の二重唱。その中には蝶々さんの侍女すずきの夕べの祈りが出てくるのだが、これも仏前に「いざーぎ、いざなみ、さるんだしーこかみ」と、神道の神の名を連ねる日本誤認を侵している。ーー激しい拍手。カーテンコール。そして客席に照明が入ってきてすぐ、僕と同じく最前列、それもど真ん中の席に座っていたプッチーニの孫娘、シモネッタさんが僕の方にやってきた。「ナカムラさん、貴方にご紹介したい人が居ます」。彼女は僕のことを”中村さん”と間違えるのが常である。
 彼女の指差すほうに、白髪の男が居た。しばし無言で僕を彼は見守る。「ピエーロ!」僕は叫んだ。演出家のピエーロ・ファジョーニ。髪こそ白くなったが、昔と変わらない刺すような視線。「タカーオ!」、昔と変わらない呼び名で僕に抱きついてくる。−−1969年のアレーナ デイ ヴェローナではヴェルデイの「ドン カルロ」が目玉の出し物だった。モンセラ・カヴァレー、カプチッリ、コソット、タイトルロールはドミンゴ(イタリアデビュー)という錚々たる歌手の中に、僕も入っていた。そのときの演出助手がピエーロ・ファジョーニだった。そしてその数年後、東京でのグノーの「ファウスト」公演に僕は彼を呼ぶように助言をした。僕は悪魔メフィストフェレスだった。ーーピエーロは以後何度か日本で演出をしてご存知の方もあるだろうが、天才的な演出家である。鋭い色彩感覚を持ち、即興的な決断は素早い。だが、そういう人間にありがちな、自己規制にいささか欠ける。遅れてきたり、すっぽかしたり、喧嘩早く、−−。これがなければ、世界ナンバーワンの演出家だとも言えるのだがーー。「歌はやめたのか?」「まだ歌ってる。日本最高齢の歌手だ!」「君
が演出までやるとは思わなかったぜ!」「誉めろよ」「いやー、良かったぜ、少なくとも一幕は}ーーこの二人の昔仲間のやりとりをシモネッタおばあちゃんは無言で微笑みながら見ていた。
 プッチーニの著作権の正当なる唯一の継承者。僕の日本語認歌詞改定を彼女が阻んだ。だが、彼女がピエーロを僕に逢わせ、彼のおせいじに一言も口を挟まなかったのは、ひょっとすると、個人的に彼女は、僕のバタフライの演出に好意を持っているのかもしれない。後から聞いたのだが、僕がプッチーニ賞を貰った決定に彼女は賛成したのだそうである。
posted by opera-okamura at 17:13| Comment(0) | 日記
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