2011年11月16日

五十嵐喜芳君逝く

五十嵐喜芳君が急逝した。半世紀前のローマ留学時代からの先輩/友だった。師の往年の名テナー、テイト・スキーパーを彷彿とさせる、天性のテノーレ・レッジェーロの美声。藤原義江の後を継いだスター・テナーだった。==日本のオペラは、藤原、長門(美保)など、個人が興行をする時代から、世界の名門オペラが呼び屋に招聘されて(殆ど東京という大都会のみで)興行する時代になり、個人興行ではとても太刀打ちできなくなり、二期会オペラ協会、藤原歌劇団、などという養成機関を伴う団の時代に移った。我が国のオペラ興行は少なく、日本に居たのでは歌手は食えない。オペラの演目、配役などを決めるのは、多くの構成団員の投票でなる理事たちだが、主たる収入は教師業だと知っている団員は将来の身を保障してくれそうな先輩たちに投票するということになるが、オペラ制作・運営に当たる人間と歌の教師業は同じではない。その構造的な弱さが日本のオペラにはある。何よりも、横文字の歌手の出るオペラを追いかける聴衆、という人種差別が我が国のオペラのネックとしてある。==歌手業からオペラ制作業にシフトした五十嵐君の悩みは、まさにここにあった筈だ。彼が最後に情熱をかけた仕事は日伊音楽協会会長だった。彼の後を継ぎ会長に選ばれた僕は、彼と同じ悩みを背負い行かねばならないのだろうか?!
posted by opera-okamura at 14:06| Comment(0) | 日記
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