2011年12月26日

捨て球・三重唱の効用 =12月26日 記




そして、領事、すずき、ピンカートンの三重唱となる。ごろーは、家の裏に回りそっと様子を窺っている。ーーー領事:子供の将来を保証するために、外で待つ女性にまかせて欲しい。(当時長崎では、外人と日本女性との間に出来た子供は性名の性を持てなかった)。すずき:そんなことを、そんなことを言ったら蝶々さんは嘆き悲しむわ。ピンカートン:(家を見まわし)ああ、あのときと変わらないこの匂い、(仏像を見て)死の冷たさ、三年が過ぎたのだ、(肖像画を見て)俺の肖像画だ、ーーーという意味を三人がそれぞれ歌うので、甚だ大きな音がするし、それぞれが歌う歌詞は細かくは聴衆の耳には伝わらない。オペラ「マダマバタフライ」の中の唯一の三重唱である。実は三重唱、四重唱、五重唱などは、野球のピッチャーが、打者を仕留める前に投げる捨て球のようなものなのだ。捨て球で目をくらませて置き、次の勝負球でうちとろうという算段である。もっとも良い例が、プッチーニと同時代の作ビ曲家・リヒアルト・シュトラウスの「サロメ」の中のユダヤ人たちの五重唱である。この男声五人による重唱は、わざとぶつかる音ばかりを使い、甚だ煩く、世事の馬鹿ごとをそれぞれが意味なく歌いあうのだが、その後に聖者ヨハナンの聖なるバリトンの単旋律が浮かび上がるように書かれている。この三重唱は、そのあとに続く短いピンカートンの後悔のアリアと領事の、言わんことじゃない、というたしなめに続く、蝶々さんが、自分はピンカートンに弄ばされたことをさとり、自刃に移っていく悲劇のための捨て球だったのである。事実、領事は外で待つ女性に託すようにすずきに求めるのみ、すずきは嘆くのみ、ピンカートンは後悔するのみ、という簡単なことを言うだけの三重唱なのである。
posted by opera-okamura at 17:19| Comment(0) | 日記
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