2012年02月11日

世界に翔け!=2月11日 記

テレビをつけたら日本が中心に収まっていない世界地図を子供たちに見せて、これが世界で観る普通の世界地図だと教えている女性が現れた。NHK・総合「課外授業」、WHOの日本人医師、進藤さんだ。世界のどこに行っても自分の国が中心部におかれている地図が出てくる。日本を出たことのない子供には、日本が端にあると不思議なのだ。これが番組の始めに出るだけで何を彼女が子供たちに教えたいのかが明らかである。世界は日本だけのために動いてはいない。海外、洋行、などの言葉は世界にはない。日本は世界の中心ではない。それを解るだけで、子供たちは大進化を遂げた筈。世界に翔け!というのは翔いてない国でも言わない。
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2012年02月03日

オペラの陰役 =2月3日 記

昨夜、いや今朝のNHKラジオ深夜便の04:05からのゲストは大野さんという若い女性。初台・新国立劇場で働くプロンプターの一人だ。河村陽子さんが引きだした誠に珍しいオペラの下働き稼業を聴いて聴取者は何を感じられたか。常にプロンプターにお世話になっていた歌手として、よくも取り上げて貰ったものだと感謝する。普通プロンプターは、指揮者のなり損ない、老齢歌手のこずかい稼ぎ、だったのだが、僕は、ミュンヒエン国立歌劇場に2日間の稽古だけでボリス役で飛び入りしたときのプロンプターを決して忘れない。彼のお陰で僕は何とか歌い終え、同役で同じ劇場で再演できたのだ。恐らく大野さんもあのプロンプターと同じく、副指揮者の助手役を観客の目に入らない小ボックスで務める仕事に人生を賭けてるのだろう。今朝の放送は新国立劇場のお偉方が是非聴くべきだった。
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2012年01月16日

良い世の中になったなもんだ!=1月16日 記

「ここはな、むかしは全部いちめんの森だったよ」。いちめん広い広い畑の中の一軒家で90歳のおじいちゃんが説明する。「そうだそうだ。それをおらたちが開墾してこんな畑にしたのよ」。竈の下の薪をもやしながらおばあちゃんが頷く。電気は来たが都市ガスは来ていない東北の田舎である。−−これはNHKテレビのキッチンか―の一こま。キッチンのついた大型のキャンピングカーで日本を廻り、現地の
食物を使って乗り込んだ一流シエフが調理をするという番組。そのときは、おじいちゃんとおばあちゃんが丹精して創った野菜を使って女性のシェフが美味そうな和食を創り、食材を提供してくれた現地の人々を招待して食事会をした。ものも言わずに食べ終わった90歳のおじいちゃんが一こと。「本当に、良い世の中になったもんだ! もっともっと長生きしような」。皺の刻まれた顔に化粧をしたおばあちゃんが大きく頷いた!
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2011年12月28日

青木十良・先生、96歳のチェリスト=12月28日 記

今朝のNHKラジオ深夜便。96歳のチェリスト青木十良・先生のお話と演奏を、寝床の中で身を正して聴いた。我々演奏家の大先輩の誠実な、誇大、はったりの無い謙遜なお話しに、傘寿で日本最高齢の現役歌手だ、などと威張っていた我身がまことに恥ずかしい!僕はラジオ深夜便のフアンだが、特に早朝・04時からのお話しが、どれもこれも人生の為になるもの。今朝は、年齢をとったら謙虚になれ、いや、なる。つまり、ますます下がる稲穂のごとく、中身が充実してくると頭は下がるものだ、ということを教わった。我身と比べて恥ずかしい。青木先生、どうかお元気で幾つになられても演奏をお続けください!
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2011年12月26日

捨て球・三重唱の効用 =12月26日 記




そして、領事、すずき、ピンカートンの三重唱となる。ごろーは、家の裏に回りそっと様子を窺っている。ーーー領事:子供の将来を保証するために、外で待つ女性にまかせて欲しい。(当時長崎では、外人と日本女性との間に出来た子供は性名の性を持てなかった)。すずき:そんなことを、そんなことを言ったら蝶々さんは嘆き悲しむわ。ピンカートン:(家を見まわし)ああ、あのときと変わらないこの匂い、(仏像を見て)死の冷たさ、三年が過ぎたのだ、(肖像画を見て)俺の肖像画だ、ーーーという意味を三人がそれぞれ歌うので、甚だ大きな音がするし、それぞれが歌う歌詞は細かくは聴衆の耳には伝わらない。オペラ「マダマバタフライ」の中の唯一の三重唱である。実は三重唱、四重唱、五重唱などは、野球のピッチャーが、打者を仕留める前に投げる捨て球のようなものなのだ。捨て球で目をくらませて置き、次の勝負球でうちとろうという算段である。もっとも良い例が、プッチーニと同時代の作ビ曲家・リヒアルト・シュトラウスの「サロメ」の中のユダヤ人たちの五重唱である。この男声五人による重唱は、わざとぶつかる音ばかりを使い、甚だ煩く、世事の馬鹿ごとをそれぞれが意味なく歌いあうのだが、その後に聖者ヨハナンの聖なるバリトンの単旋律が浮かび上がるように書かれている。この三重唱は、そのあとに続く短いピンカートンの後悔のアリアと領事の、言わんことじゃない、というたしなめに続く、蝶々さんが、自分はピンカートンに弄ばされたことをさとり、自刃に移っていく悲劇のための捨て球だったのである。事実、領事は外で待つ女性に託すようにすずきに求めるのみ、すずきは嘆くのみ、ピンカートンは後悔するのみ、という簡単なことを言うだけの三重唱なのである。
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2011年12月14日

朝になります=12月14日 記 

朝になります。まんじりともせず、すずきと幼子と共に、穴のあいた障子から外を覗き、夫・ピンカートンの三年ぶりの帰宅を蝶々さんは待ちます。
すずきは「お疲れの様子。現れたらお呼びしますから、坊やと、奥でお休みください」と主人を気遣います。
「眠れ愛し子この胸に、神と共に、私は悲しみと共に、金の光に照らされて」と蝶々さんは朝一番の太陽の中を、眠る子を抱いて奥に入っていきます。「哀れな蝶々さん」とすずきが歌ううちに、外では物音。ごろーが、領事とピンカートンを案内してやってきました。
ピンカートンが金髪の妻を伴って来たので、ごろーは、蝶々さんを別な男に斡旋して又儲けようというわけなのです。
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2011年12月08日

イタリア経済の成り行きを見守る

 あれは8月3日の夜。僕のホテルにプッチーニフェステイヴァル財団フランコ・モレッテイ総監督より電話がかかってきた。「マエストロ・岡村。来年またここでバタフライをやってくれるね?今度はこっちだけの主催で君の所そゲストだ。」「それは嬉しいニュースだけどーー明日4日夜のゲネプロを観なくてもいいのかい?」。もうすでに5年越しの交渉相手だから、我々は親しい。暴は彼を信頼して今年、改訂版「マダマ バタフライ」の、彼の財団との共催契約を結んだ。「もう君たちの実力は解ってるよ!」「契約の内容は?」「それは・日の初日の後に話し合おう。今日は、来夏に来るとの君の約束が欲しい」「解獣た。是非、ここで来シーズンに再演させて欲しい!」「そして、君には18峠の最終公演の開演直前の舞台上で、プッチーニ賞をあげたい」「プッチーニ賞秋」「パヴァロッテイ、ドミンゴなどの大アーテイストが受賞した賞だ。演出化はウデイ・アーレンに続き、君が二人目だ」ーー改訂版「マダマ バタフライ」は、原作台本の中の台詞の日本誤認を、僕が世界初に訂正したもので、おくそま、なる賢人が微笑みの効用を解いたり、かみさるんだしーこ、と、猿田彦の神就らしき名前を蝶々さんの叔父の坊主が怒鳴ったり、と、日本人なら誰でもが悉をかしげ、改訂の要を痛感する間違いを、全部で11か所あまり(大村をおま充らと間違った箇所が2箇所ある)あるのを全部訂正したものである。誠に残念ながら、この訂正は、プッチーニのひ孫、唯一の正当なる著作権継承者シモネッタ・プッチーニさんに阻まれ、大村をオマーラとしたもの、そして、芸者稼興を誤認した蝶々さんの第二幕のアリアを、原作者たちによる誤りのない前の版に潤した、2か所しか直せなかった。「ダンテの神曲に手をつける人はいない。それに、よし間違いがあったとしても、芸術作品を改訂することは許されない」。というのが彼女の言い分である。「マダマ バタフライ」というイタリアを代表劃する芸術作品の一つに対する彼女の言い分は、尤もなことだと思う。だか初、潔く引っ込んだ。そのシモネッタさんも出席した、僕のプッチーニ賞授晶式は、最後の公演が始まる直前、オーケストラが調弦する前に、3200席が埋殉ったフェステイヴァルの大劇場の舞台上でおこなわれた。

 来シーズンの契約は11月におこなわねばならないとフランコは言そていたのに、もう8日も12月は過ぎてしまった。彼からは11月の半ばに電話習かかり、すぐに契約案を送るといってきてから、音沙汰がない。ヨーロッパは砂、ギリシャから始まり、スペイン、ポルトガルと、怒涛の経済危機の最中で、イタリアもその渦中にある。オペラは一つの演目を上演するのに軽く億の金がかかる興行である。息をひそめて、僕は今、EU、イタリア経済の成り行きを見初っている。
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2011年12月03日

無題

Twitterでは「マダマ バタフライ」の僕の演出に基ずいた物語概略を連載で書いていますが、その合間に、その時どきの寸感を入れてます。Takao_Okamuraですので、どうぞお読みください。 で、くどいのですが明日は荒天でお宅に居られる方が多いと思いますので、11月23日夜の「蝶々夫人は悲劇ではない 〜オペラ歌手・岡村喬生80歳 イタリアへの挑戦〜再放送を、あの夜に見逃した方は是非ご高評ください。 オペラに全く興味の無い方でも、僕の日本チームの、オペラ宗主国イタリアでの善戦ぶりを、大きく言えば日伊文化摩擦をご覧いただけます。明4日、日曜日15:00〜16:29、NHK・BSプレミアムでの放映です。
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2011年11月29日

再放送

去る23日(勤労感謝の日・水)のNHK・BSプレミアム、19:30〜21:00放映の「蝶々夫人は悲劇ではない〜オペラ歌手岡村喬生80歳 イタリアへの挑戦」では、通常の一ケタ上のインターネットアクセスがあり、電話は放映中から鳴り、テレビの威力をまざまざと知った。お陰さまで概ね大好評。そのせいか、再放送が早々と決まった。同じNHK・BSプレミアム、12月4日(日)15:00??16:30である。どうか皆様のご高評をお願いします。
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2011年11月16日

五十嵐喜芳君逝く

五十嵐喜芳君が急逝した。半世紀前のローマ留学時代からの先輩/友だった。師の往年の名テナー、テイト・スキーパーを彷彿とさせる、天性のテノーレ・レッジェーロの美声。藤原義江の後を継いだスター・テナーだった。==日本のオペラは、藤原、長門(美保)など、個人が興行をする時代から、世界の名門オペラが呼び屋に招聘されて(殆ど東京という大都会のみで)興行する時代になり、個人興行ではとても太刀打ちできなくなり、二期会オペラ協会、藤原歌劇団、などという養成機関を伴う団の時代に移った。我が国のオペラ興行は少なく、日本に居たのでは歌手は食えない。オペラの演目、配役などを決めるのは、多くの構成団員の投票でなる理事たちだが、主たる収入は教師業だと知っている団員は将来の身を保障してくれそうな先輩たちに投票するということになるが、オペラ制作・運営に当たる人間と歌の教師業は同じではない。その構造的な弱さが日本のオペラにはある。何よりも、横文字の歌手の出るオペラを追いかける聴衆、という人種差別が我が国のオペラのネックとしてある。==歌手業からオペラ制作業にシフトした五十嵐君の悩みは、まさにここにあった筈だ。彼が最後に情熱をかけた仕事は日伊音楽協会会長だった。彼の後を継ぎ会長に選ばれた僕は、彼と同じ悩みを背負い行かねばならないのだろうか?!
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